Happy Friday evening!

長い長い1週間が終わり(あっという間!とも言う(笑))、おそらく一週間のうちに一番ほっとして、ゆるんで、そしてハイテンションになれる金曜夜!

そんな日の夕食はやはり外食に限る(笑)!今日くらい夕食の食材買い出しから、料理、片付け皿洗い、すべての任務を放棄して、”他人”に託す!ママンは料理を選んで、運ばれてくるのを待つのみ!後片付けだってしなくていい🎵

幸せ〜❤️(男性陣の方々、そう、主婦の幸せは意外と簡単に手に入るのであります笑)。

とそんな夕食を終え、子供達のお風呂、歯磨きが終わり、ほっと一息。

今日はビジネススクールの日々を思い出して書いてみようと思います。

前回までは学校をどのように決めたか、また、どうしてMBAをとるに至ったか、について書きました。

学校を決めたら、後は必要書類を提出し、面接をし、課題を提出し、合否が決まる。

合格が決まると(6月半ば頃)、すぐに課題(確か、”ドバイプロジェクト”についての記事が渡され、それをビジネスの観点からどうして成功した(もしくは失敗した)と言えるかを分析・検証すし2千字のレポートとしてまとめる、、と言ったような内容だったような気がする。)が手渡され、9月の授業開始までに提出する必要があった。

課題はオンラインで出され、オンラインで提出する。

教授は3日間の授業のために、それぞれの分野のプロが世界各国からパリまで飛んでくる。

学生はとういうと、世界の様々な国から1年から1年半の授業のためにパリに滞在していた。

アメリカ系の学校ということもあり、アメリカ国籍が一番多かったように思う。次いで、中東出身のお嬢様たち。それから欧州出身の学生たち。そしてアフリカ人、特にナイジェリア出身の学生も数人いた。

ママンのクラスには意外にもフランス人は誰一人としていなく、アジア人もママン一人という状況でした。

授業は1年間を通して22の科目を履修することになっていて、毎回、Pre-assignment (授業前に提出する小さめな課題)とAssignment(授業後の課題(通常5千字のレポート。理数系の授業のときはこれがテスト&論文になったりする。))となっている。

授業は月に2回x3日間なので、2週間ごとに5千字のレポート、授業前課題、それから大量に読みこなす必要のある文献の数々をこなしていく必要がある。

これはママンにとっては心底過酷であった。

英語を母国語とする人や、もしくは多くの中東出身の学生たちがそうであったように、英語で学校教育を受けて来た人たちにしてはたいしたことない課題の量なのかもしれない。

けれどもずっと日本で学校教育を受けて来たママンにとっては英語で論文を書くほど苦労することはなかったのだ(涙)。

計約2年通っていたカナダの大学で、レポート(論文)の基本的な書き方(Introduction, body, conclusion) については徹底的に訓練させられていたので、ある程度助かった!と思ってはいたものの、それでもやはり過酷であった。

3日間の授業が終わると、即課題に取り組み、途中で次の授業の前課題も準備、そして山のように積まれた次の授業にまつわる文献も読まなければならないのだ(涙)。それを全て同時にこなす。

そして、当時、お兄ちんは3歳。

幼稚園は3歳から始まるので、8時20分に送り、即メトロで学校へ向かい9時からの授業に備える。学校が18時に終了すると同時に飛び出し、18時半のお迎えに向かう。

そんな日々だった。時々、夫が早めに会社を出てくれ、息子のお迎えに行ってくれたりもしていた。

どんなに課題があっても、息子が眠りにつくまでは母業をしなければならない。

また、会社も結局は辞めずに、同時進行でやっていくことを選択した(というより、実はやさしい社長さんが、どんなに勤務時間を減らしても、一応社員のままでいた方がよい、と強く勧めてくれたのだ!)。

というわけで、会社も続け(週、2、3回半日という超少ない勤務時間!)、子供のお世話をし、家事をこなし、その中で課題に取り組む時間を作らなければならない。

ママンにとってはストレス限界値だった(涙)。もちろん自分で決めた道なのだけど、正直、そこまでの大変さを想像できていなかったのだ。言ってみれば、知らずのうちに戦場に足を踏み入れてしまい、後戻りができなくなってしまった、みたいな。

いつもの”どうにかなる!”が、こうして裏目に出てしまい、自分を苦しめるのだ(笑?涙?!)。

そんな過酷な現実に身を置いてしまった事実に気がついた時には、普通にカフェでお茶している人、街を楽しそうに歩いている人、子供たちとピクニックしている人、すべての人々がとっても自由に見えてうらやましく思えた。

ママンにはそんな時間すら、自由すらないように感じたのだ。周りが全て色を失い、白黒に見えるようにさえ感じたのだ。

その時にすごく感じたのは、1年間という時間は通常はあっという間に過ぎ去ってしまうけれど、苦しい状況(もしくは過剰なストレスを感じる状況)での1年という日々は永遠に感じられるほど長い、ということ。

1年もの間、まったく休みなしに、次から次に課題が降ってくるかと思うと、耐え難く感じれれたのだ。全く心も体も休まらない日々をこなしていけるのだろうか。

独り身だったらまだしも、守らなければならない家族がいる。

プライオリティーは家族のはずなのに、ママンの勝手に選んだストレスフルな生活のせいで家族を犠牲にし、崩壊させることになってしまったら、、、と底なしの不安にも包まれた。

と、そんな状況で始まったMBA生活でしたが、数ヶ月たった頃から、少しづつ状況が変わり始めたのでした。

長くなってしまったので(いつものことか笑!)、続きはまた今度🎵

当時を思い出したら胸が痛くなって来た(涙)!

 

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