“Gift”(与えられたもの、才能)と、働くということ

昨日の雪の影響で大変な思いをされた方も多くいらっしゃるかと思いますが、久々の雪景色、やっぱり美しいです。

あまりに美しく、少しばかり夜の街をお散歩。

いつもの景色が、真っ白い雪化粧により、息をのむほど美しく。

幻想的な雰囲気がまたたまらなく心をほっこりさせてくれました。

何だか時々の雪ってロマンチック♡

大変な思いをされた方、すみません!

さて、今日は「働く」ということについて最近思うことを綴ってみようと思います。

まず、最近強く感じるのは、「働く」ということがいかに大切かということ。

もちろん子供がいる人の場合は、子育てに集中せざるを得ない時期やした方がいい時期はある。自分自身もそんなライフステージの真っただ中にいるので、だからこその難しさというのを日々実感しながら生活しているのだけど。

また、子供でなくても、家族や親せき等に介護が必要とする人がいて、物理的に働くことができない、という人もいる。

そして、健康面での問題があり、働きたくても働けない状況の人もいる。

けれども、普通に五体満足で生まれ、日常生活を営めるほどの健康面が整っていれば、やはり社会に貢献する何かしらの”役割”というのは誰もが与えられているのではないかと感じるのです。

”Gift”という言葉。プレゼントや、才能といった意味で使われることが多いけど、要は”与えられたもの”、という意味。

人間は、生まれて来た、つまり、命というものが与えられた。

そして、体、心、魂が与えられた。

多くの人は五体満足、健康な体が与えられた。

学習したり、理性や行動を司る脳を与えられた。

喜怒哀楽の感情、人の気持ちを理解できる心を与えられた。

更に、それぞれの個性(才能、あり方、色、味など)を与えられた。

と考えると、人は、それぞれ与えられた”gift”を使って社会に貢献する、という役割が同時に与えられているような気がしてならない、と強く感じるのです。

五体満足与えられていて、それなりに健康でいるのだから、例えば、健康面での問題があり働けない人の分まで、できる人がやらなければいけない、と感じたのです。

”できる”状態の人が、それぞれ”できる”ことをして社会貢献する。そうやって世の中は成り立っているんじゃないかと思うのです。

役割を全うするというのは、必ずしも”仕事”というかたちではないかもしれない。

どんな形であれ、どんなことであれ、他人の役に立てること、社会の役に立てることを継続的に行っていくことが私たち人間に与えられた使命なのかなあと最近強く感じるのです。

そして同時に感じるのは、人は役割があると活き活きするということ。まさに役割を全うすることで”生かされている”と感じられ、生きがいを感じ、Life(生きること、生活すること、人生)を全うできるのでは、と思うのです。

自分の快感のためだけ、自分の喜びのためだけに生きていくほど虚しいことはない。

母親である、ということは一つの大切な役割だけど、母親という小さな家庭内での役割の他にも、長い一生を考えると、社会という大きな場所で果たすべき役割も実はみんなに与えられているんじゃないかと感じるのです。

私は先月から父の経営する商社で働いている。

人手が足りていないとのことで、足りない部分をカバーしながらぼちぼち仕事を覚えていっているので、正直まだまだあまり貢献できているとは言えないかもしれない。

それでも、「働く」というのは何てよい気分をもたらすことなんだろう!と改めて感じるのです。少しでも自分が役に立てていると感じられるだけで、心から嬉しく、有難いと感じるし、何だか活き活きとよいエネルギーが体に流れてくるような、そんな気がするのです。

なので、母親だからという理由で社会から隔離されるのは、国としてもったいないだけでなく、健康・幸福なあり方ではないように感じてしまうのです。

やはり、”母親”という役割がありながらも、フレキシブルに働きやすい環境を国として、会社として、家庭として整えて、母にも、”母親”以外の役割、使命を果たす場所を与えられないものかなーと思うのです。

せっかく天から与えられたGiftをフル活用するためにもね。

やはり、「働くこと」と「生きる喜び」は密接に関わっているとつくづく思う今日この頃。

今日も最後まで読んでくれてどうもありがとう♡