アール・ヌーボー建築に満ちた街並散策ーオラデア

夏休み明け、日常生活に戻って約1週間。

まだまだ暑いですが、モチベーション高く日々仕事に邁進しながら、ワーママ生活を送っています。

さて、今日は頭の中を欧州に戻し、ルーマニアについて!

ルーマニアとは日本ではあまり語られることもなく、ママンの頭の中にはかつて共産主義国家で独裁政権にあったこと、よって、経済的に困窮した国、というイメージしかありませんでした。

この夏、実はルーマニアに行くのは2度目。

一回目は夫と出会ってから間もないころに、ルーマニアに当時交換留学をしていた義弟に会いに行ったとき。

この時は、首都のBucharest(ブカレスト)に行きました。

今回は、ハンガリーとの国境から近いオラデア(Oradea)という街(オラデアでの義弟の結婚式&洗礼式についてはこちらの記事からどうぞ!)。

Oradeaはアール・ヌーボー建築で有名な街。

街の中心部を歩いていると、カラフルで、曲線の華やかな装飾がかわいらしい建物に多く出会いました。

建物の魅力に目が奪われ、これも!あれも!とカメラをパシャパシャ!

オラデアの街、これまでは建築物の維持にあまり尽力をしていなかったようで、今でも腐朽したまま残っている建物もぼちぼち目につきましたが、やっとここ数年で、町を観光地としてプロモーションしていこう!という動きが出てきたようで、政府も建造物の改装に投資するようになったそうです。

アール・ヌーボー建築が楽しめるばかりでなく、街の中心を流れる川沿いには、お洒落なカフェが点在していたり、素敵な城跡や緑溢れる公園があったりと、魅力的な観光地になるための素材は十分にあるのかなと感じました。

そんなオラデアに着いてからというもの、まずは義弟奥様邸にて親戚大集合のお食事会。

シカゴに住む兄ファミリーも来ていたので、家では英語、フランス語、ルーマニア語が飛び交った中の食事。

ルーマニアでは豚肉を多く食べるそうなのですが、その日いただいたメインの焼き豚、いくらでも食べられてしまうほど、とっても美味しかったです。

しかも田舎の家で、自ら養豚した豚や、栽培した野菜しか使っていないとのことで、すべてがオーガニック!お野菜たちも確かに味がしっかりしていて、とても新鮮でおいしいと感じました。

義弟の奥さんには、よく共産主義時代(戦後からベルリンの壁崩壊まで)の話を聞かせてもらっています。

どうやら戦後、田舎暮らしをしていた人たちも皆、町の中心地に移動させられ、集合住宅(団地)に住まわされ、適当な仕事を与えられ、民主主義国家との国交は絶たれ、非常に不自由で貧しい暮らしをしていたとか。

スーパーに行っても商品の種類は限られていて、4人家族なら米何キロ、パン何枚、、、と購入できる全てのものの数量が決められていたそうです。まるで戦時中の配給制度のよう。。。

洋服だって種類は例えば3種類。赤、黄色、青のどれかを選ぶ、みたいな感じだったようです。

そして、夜は例えば8時を過ぎると家の、そして街中の電気が消える。その後は必要ならばロウソクに火をつけて生活をしていた、とか。

ある意味、”自由”を享受する私たちからは想像もできない暮らしぶり。

そんな話を聞くのがとても興味深くて好きなのですが、本当に時代のめまぐるしい変化を感じさせられます。

そんなとてつもない”不自由”な時代とは言え、様々な格差や犯罪等の社会問題を抱える今、みんなが家も仕事もあった、”あの時代はよかった”、と言っている声も未だに多く聞こえたりするとか。

おそらく想像を絶する大変な時代を乗り越えて来ている国、そしてそこで暮らす人々。今では蔓延る汚職や政治腐敗、そして経済的困窮のため多くの若者が国に未来を見いだせず、国外に出て行っているそうです。

そんな話を聞くとやはり日本は平和だな~、と改めて感じさせられます。

さて、お国の話はさておき、ルーマニアでは義弟友人宅でBBQパーティーもしました。

ちなみに、この友人夫婦は二人とも還暦を迎えるお年。そんな年齢層の異なる人たちとも気軽に友人になれる環境は素敵だなーと思いました。

ちなみにルーマニアでBBQと言えば、ミティティのグリル。豚肉のひき肉とにんにくを混ぜた肉団子だそう。

これは若干ショッパイのだけど、くせになる味!

ポテチのように、次から次へと欲しくなる、危険な食べ物でした(笑)!

もちろん、おいしいのだけど♡

それから、ルーマニアの滞在で一番の至福のリラックス時間は何と言っても!!

続きます♡


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