昨日はとても充実感と満足感のある一日でした。

何が普段と違ったかって、まず午前中に1件仕事のアポがあり、クライアントさんとのミーティング、ランチタイムは大学時代のサークル仲間と赤坂でランチ、午後は別件で初対面のクライアントミーティング。

というわけで、オフィスに籠る日々とは打って変わって、ほぼ一日中外出、そして人と会っていたのでした。

私はやっぱり人と会っている時が一番充実感やワクワク感を得られるなーと改めて感じられた一日でした。

やはり営業向きか(笑)!

人と会うとたくさんよい刺激をもらえ、新しいことを学べ、癒され、元気が出る。いいこと尽くしです。

というわけで、ハッピーな気分で子供たちを迎えに行き、そのままの勢いで昨日は久々にすき焼きを作りました。

さて、そして今日。

昨日が”動”なら、今日は”静”。

今日はほぼ一日オフィスの中。

でも、それはそれで溜まったメールの返信をしたり、じっくり作業をしたり、リサーチをしたりできるので、また違った充実感。

やはり何事もバランスか!

さてさて、今日は”成熟した魅力的な女性像”について書いてみようと思います。

というのも先日、フランス人である我が夫が、「日本人女性はみんな小綺麗でそれなりにきれいだけど、官能的な魅力をあまり感じさせないよね」と言っていたのが頭から離れず、その後、数日間、頭の中に、”官能”とか”成熟”とか”女性の魅力”とか、そんなことがぐるぐると巡っていたのでした。

夫の見解では、日本は全てにおいて小綺麗にし過ぎるのが問題だ、と。

全身脱毛(手足の指まで!毛に対する嫌悪感)、新品な服やカバン等、完璧なネイル、汗あとは無し、無臭対策等、ちょっぴり小汚いものや、古びれたものは女として許されず、時には人間であることをもはや否定されているかのごとく感じられるほどの小綺麗信仰が、フェロモンや官能を削いでいるのではないか、と彼による仮説。

夫としては、フランス女性はもっと自然な人間であることを受け入れていて、その上で自分らしさを追求するから、人として成熟しているように見えるし、官能的な魅力があるんじゃないか、とのご意見。

我が夫は典型的なフランス男で、マクロン大統領のように熟女好みなので、その辺りを前提として聞き流していただければよいのですが笑、(ちなみに我が夫婦は私が半年程年上。なのでほぼ同い年です)、そんな風に一般的な日本人女性たちを眺めているようです。

聞いていて何だか胸がざわざわしてしてしまったことも否定できませんが、まあ、わからなくもないと感じました。

確かに西洋の人々の方が、性別に関係なく、人として成熟していて官能的な印象はあります。

その違いはどこから来るかと考えてみると、やはりこれは学校教育や家庭教育の賜物ではないかと思えてなりません。

西洋では、子供を、小さな頃から一人の人間として扱う傾向があり、集団の一部としてではなく、人それぞれを個として成長させるため、長年の教育を通して成熟した人間に育っていくように見えます。

そもそも何をもって”成熟した”というのか、という定義づけの問題にもなりますが、要は”自己”、”個”が確立されている。自立した、意見を持つ、主体的に生きる一人の人間となっている、という感覚でしょうか。

だからなのか、”自分らしさ”をとことん追求して、それを開花させようとしていて、個々の味というのか、色というのか、スタイルが形成されているのではないか、と感じられます。

これはファッションでも趣味でもプロフェッションでもそうですが、”自分”であることへのブロックをかけない。つまり、”主張する”。だからか、”自分”が開花し、益々自分という人間の本質に近づき輝きを増してくるように見えるのです。

夫の言う、成熟した、とか、官能的、というのはそこを経て人生経験とともに構築される個々の雰囲気とかオーラなのではないかと感じました。

一方日本では、自分を開花させる前に蓋をしめてしまっている人が多いのかもしれない。どこか遠慮してしまっていたり、周りに合わせてしまったりして、本来備わっている”自分”が開花されずに大人になってしまった、みたいな。

いや~、もったいなさすぎる!

自戒も含めて、遠慮なんてしている場合じゃない!

自分の人生なのに、誰に遠慮する必要がある?

周りに合わせる必要なんてない。窮屈になるだけ。

そうこうしているうちに、本来備わっている素敵な素質が眠ってしまう。

そんなことを思いながら、同じようなこと考えている方のご意見はないかな~、なんてネット検索していたら、”成熟した女性”に関連する、なんとも共感できる面白い文章に出会ったので、シェアさせてください。

「未熟な女=かわいい」の社会では、成熟した女は活躍できない

確かに、日本では未熟な女が男性からもてはやされる傾向はあるけれど、私は成熟した女でいたい!

成熟していて、知性があって、凛としていて、官能的で、でも同時におちゃめでチャーミングな女性になりたい!

成熟した女性でいるには、精神的にも経済的にも自立している必要がある。

成熟した女性でいるには、自分軸があり、落ち着きがあり、包容力が求められる。

成熟した女性でいるには、あらゆる面で自信を持つ必要がある。

自信と完璧はイコールではない。完璧だから自信があるのではなく、自分で納得のいく状態であること。理解し受け入れること。女として、母として、妻として、職業人として、日々成長をする自分でいいじゃないか、と受け入れる。それが自信、としておこう(笑)。

そして、成熟した女性でいるには、女らしくいること(ファッションやアクセサリーを楽しんだり、ヒールを履いたり、家に花を飾ったり)も忘れてはいけない。

最後に、成熟した女性でいるには、主張すること。自分が何者で、何が好きで何を求めていて、何が堪えがたいか。そんなことを意見する。もちろん空気をきちんと読みながら。

そんな女性になりたい。

成熟した女性について、もう一つ面白い記事を見つけたので、よかったら読んでみてくださいね♡ ママン自身も過去に凛とした女性についてこんな記事も書いています。

それではイメージトレーニングでもして寝てみます!

明日の朝起きたら大変身してるかも?!

 

コメント一覧
  1. あつあつ より:

    これはこれはドッキリとするテーマです。

    私も日本人女性は小ぎれいなんだけど自分の身体を愛してない、というか好きじゃない、っていう雰囲気いっぱい出してる感じはいつも受けます。
    成熟=官能的、というのはちょっと男性の目から見た感じもあるけれども、官能的=voluptuous という風に捉えたら官能的な女性はやっぱり自分の身体に、気持ちに満ち足りた女性ということに尽きると思います。

    でも、私も日本に帰るたびにどうしてもセクシーな気持ちから程遠くなって生真面目で官能的になれない自分を発見して、これって日本の社会がこういう状態(官能的でいることを感じさせることを極力制限する力)を保つ仕組みが深く刻み込まれている感じします。会社内のすごくきっちりした組織体制とか満員電車で身動き取れない状態とか、隣の家がすぐ近くで密集して人が住んでる環境とか、たくさんの生徒が1クラスでず〜っと行動して管理されることとか。こういう環境だと、自分の考えもって先ずは自分の意見を主張する人とか豊満な身体に自信を持って隠すのじゃなくてエンジョイする服とかの人がいたら、狭いところで密集して働いて暮らしている人達の間に波風たって異端児というか迷惑分子になっちゃうのかな〜とか思う様になりました。

    成熟して官能的な女性、というのは、成熟して官能的な男性がいてこそ成り立つものでもあるのだと思うので、もし、日本女性にあまり官能的な人がいないとしたら、それは男性も官能的な人があまりいないから、と言ってまとめにいたします。(笑)

    とても素敵な、考えさせられるテーマだと思いました。これからもブログの更新、とても楽しみにしております!!

    • ママン より:

      あつあつさん!
      素敵なコメントをいただきありがとうございます!
      “成熟して官能的な女性、というのは、成熟して官能的な男性がいてこそ成り立つものでもあるのだと思う”という点、まさに!と感じました。私の中では女性しか見ていませんでしたが、確かに男性があっての女性という視点が欠けていました。面白い発見です!やはり社会のあり方が、成熟した個人、そして成熟する過程で醸し出されてくる官能的な部分を制限しているのかなあと感じました。
      個というものがもっと育ち、生まれもった素質が開花する環境があれば、一人ひとりの味や色が確立され、“官能”がおのずと出てくるのかもしれないですね。そして人間らしさやそれぞれの色を認め、受け入れる寛容性と柔軟性。
      個人、人というのはまさに社会・文化という枠組みの中で形成されるということをつくづくと感じます。
      “官能的な女性はやっぱり自分の身体に、気持ちに満ち足りた女性”というフレーズもとても印象に残りました。
      これからも貴重なご意見、コメントをお待ちしております♡

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