恐怖の台風が去り、平穏に見えるような日常に戻って来ました。

幸運なことに、我が家の周りは特に被災もせず、直接被害を受けた人も周りにはいないようですが、ニュースを通して見る映像にはその凄まじさに驚くばかりです。実際、あれほど一日中暗く激しく雨が降り続け、あらゆる河川の氾濫の危険を知らせる警告及び避難勧告を次々と受け取ったことは未だかつてありませんでした。

改めて自然への畏怖を感じ、気候が変動していることの実感、強い危機感を抱きました。

かつて、私にとって、日本の10月、11月はとにかく爽やかな快晴続きというイメージでした。

子供の頃からそんな秋の季節が大好きで、10月10日の町の運動会や11月3日の文化の日は何年も何年も雨なし、更に快晴だったことを記憶しています。

そんな日本の美しい秋を、欧州在住時代、現地の長いどんよりした秋・冬にうんざりしながら何度恋焦がれたことでしょう。

時は流れ、幸運にも日本でまた生活することが決まり、家族で東京生活を始めたのがちょうど3年前。

それからというもの、ここ数年、9月、10月はほぼほぼ雨ばかり降っているような気がしています。

もしかしたら、ただの偶然なのかもしれませんが、どちらにせよ、こんな10月というのは私の知っているかつての日本ではありません。やはり気候が大きく変更しているのでしょうか。

近未来、地球はどうなってしまうのだろうか?と考えるとやはり不安です。

直近の2度に渡る甚大な台風で被害を被った方々、早く平穏な日常に戻れますように。

さて、我が家が日本に来てからちょうど3年が経とうとしています。

不思議だけど、もうずっと前からいるような気がしてしまっているので、”まだ3年か~”という気分でもあります。

逆に言うと、3年前までロンドンで生活していたなんて考えられないくらい日本の生活にどっぷりで、ロンドンやパリはもう遠く遠くの世界のことにように感じるほどです。

長男はというと8歳で日本に越し、現在11歳。

当時は英語はほぼネイティブレベルでしたが、フランス語は会話ができる程度、日本語はママが言っていることはわかるけど、、、程度なレベル。

それがフランス人学校に通っている今となっては、フランス語はネイティブレベル、日本語もほぼネイティブ(日本の学校では5年生だけど、フランス学校の日本語の授業では3年生の教科書を使っています)、英語は9月から週7時間アメリカ人の先生の授業を受けており、そのお蔭か、かなりネイティブに近いレベルをキープできているように感じています。

たった3年間でこれだけ吸収することができるわけだから、やはり子供の3年間という年月はあなどれません。

次男はロンドンを離れた時、わずか3歳半。

当時、英語はほぼネイティブレベルでしたが、もうすっかり忘れてしまっています。今は日本語がネイティブ、フランス語は大分流暢になって来ている段階(昨年の9月からフランス学校に行っています)です。

そして何より二人は日本の生活をとても気に入っている様子。

いとこたちと遊べるのはもちろんのこと、学校も楽しいし、安心して平穏に暮らせているように見られます。

長男はロンドンの学校がとても楽しかったようで、今でも時々やっぱりイギリスが一番楽しかった!ようなことを言うこともありますが、基本的には今の学校や生活にとても満足している様子です。

長男こそまさにマルチカルチャーで育ったという、オープンであまり偏りのない物の見方をしているように思います。

次男はもうほぼ日本人。見た目はあまり日本人に見えないのですが、中身は誰よりも日本人であるように思います。これはおそらく日本の幼稚園に約2年通っていたからなんじゃないかと感じています。そんな彼を見ていると、人の性格の大部分(個性を除いた生活態度や物の見方や、考え方など)は幼少期に形成されるんだなと思えてなりません。

何だか子供を使って言語習得や性格形成の人体実験をしているようですが(笑)、日々の子供たちの成長が面白くてしょうがないと感じる今日この頃です。

夫はというと、時々、”ここがおかしい日本人”的なことを言ったり、皮肉ったりすることはありますが、基本的には日本はとても住みやすいと感じてる様子。

ただ、夫にとっては子供の学校がとてもいい学校と感じているようで、我が家としては、子供をフランス人学校にいれて本当によかったと感じています。

子供がマルチカルチャーな環境(フランス学校とは言え、あらゆるオリジンの子供たちがいる)で学べ、語学や文化、あらゆる考え方、ものの見方を体得できるというのはもちろんのこと、夫がフランス人のパパ友を作る場であったり、子供の学校教育に主体的に関われるというのが、とても大きな利点であったと感じています。

正直3年前に日本に来たときは、せっかく日本に来れたのだから普通の日本の学校に入った方がいいのでは!と思っていたのでした。わざわざフランス学校にする意味があるのか?と迷いつつも念のため願書を提出していたのでした。けれども、どう決めていいのかもわからず本気で悩んでいました。

取り急ぎ住居が決まるまで、長男は実家近くの公立小学校に通っていたのですが、その間にフランス学校の見学に行った際、彼が、“僕、ここがいい!”と強く望んだので、フランス学校に決め、家探しは学校の近くでするという運びになったのでした。当時書いた記事がこれ

というわけで、我が家にとってはフランス学校に子供を通わせたことが、間接的に夫の日本でのwell-beingを手助けしている部分がおおいにあるように感じています。

仕事に関しても、英語で業務をこなすことができる外国人で、更に何か専門知識や経験を保持している場合、外国人にとってその付加価値を発揮することができる環境が日本には整っているような気がしています。

もちろん日本語ができて越したことはないけれど、英語で業務さえできれば、割と外国人にも労働市場はオープンであるような印象です。

という点で、夫の仕事に対する満足度も高いように見られます。

最後に私はというと、今から思うと、3年前、ロンドンから来た当初は(12年ぶりの日本での生活。そして社会人として、母としては初めての日本生活)、自分が意識していた以上に周りに合わせよう、順応しようと頑張っていたような気がしています。

それが時の流れとともに、漸く心地の良い立ち位置にすとんと落ち着いたという感覚があります。

とにかく私にとっては、家族が両親や兄弟(いとこたち)と近くにいれること、夫や子供たちが自分が育って来た日本文化を体感できること、日本語を覚え、日本で生活できることが嬉しくて、それだけでも心から有難いと感じ、自分自身もやっと地に足が付いたような感覚があります。

それから、”外国人”であることから解放されたことが一安心というか、”ホッとでき”、心穏やかに生活できることに喜びも感じてもいます(夫には申し訳ないけど!)。

私の場合は好きで外国に行っていたわけだし、この、”外国人”であるがゆえの”自由”や”特別感”の中で生きるのは、非常にadventurous(冒険的)で刺激的で楽しくもあることは知っています。

けれども、一旦守るべき家族を持ってしまうと、全てが変わる!ということを子供を産んで育てながら実感しました。

外国人であることの”自由””が、時間が経つほど”不自由”に感じ、現地の生活に入り込めば入り込むほど、外国人であることが“障害”に感じて来ていたのです。

どんなに日常会話に困らないレベルの現地語を習得しても、やはり夫の手助けが必要なことは多く、友達を作るのも容易ではない、仕事も苦労する、必要な情報がなかなか入って来ない、常に意識を集中していないと理解できない、子供の学校教育の在り方がわからない等々、とにかく全てにおいて不自由を感じてしまうのでした。

私にとってはその”不自由”さは、フランスであってもイギリスであっても同じ。

ただフランスにいた時は彼はフランス人なので、まあ半分くらい地に足が付いて現地できちんと生活している感はあったものの、イギリスでは二人して”不自由”な外国人。そんなこともあり、私たちの中では第3国での生活というのは一時的なものとしかとらえることができませんでした。

話はそれてしまいましたが、というわけで、12年間、外国人として異国で生活していたので、日本に帰って来た途端、戦闘態勢から解放され、一気に気が緩んだのを感じました。

そして、やっと全てのことがきちんと理解でき、under controlになり、自由・自立を取り戻せたように感じており、今だにこの感覚がやはり快適だなーと感じているのであります。

仕事もチャレンジングで気に入っているし、高校時代や学生時代からの友人たちとも定期的に会えているし、そういう意味ではやはり自分の中での幸福度は今が一番高いのかなーと感じています。

という感じなので、我が家はまだまだ長らく日本にいるつもりで現在家の購入を検討しています!

3年という月日はやはり長かった!

今日も最後までありがとうございます💛

おすすめの記事