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選択をすること

人生は(っていきなり始まりが重い!)、日々、小さなことから大きなことまで、選択することを繰り返しながら道が築かれていっている。別の言い方をすると、人は日々、色々な場面で色々なことを選択しながら生活をしている。

例えば、今日はどの服を着ようかな。朝食は何にしようかな。仕事ではどの業務を先にしようか。お昼は誰と行こうか、どこに行こうか、ということから、現在の仕事を続けるか、転職するか。家を購入するか、賃貸にするか。誰と付き合うか、誰と結婚するか。もしくは結婚するか、しないか。子供を産むか、産まないか。そして多くの母の場合は、仕事をするか、子育てに専念するか。

と、羅列したらキリがないくらい、色々な場面で色々な選択に迫られて生活をしている。

選択する、ということはどちらかを取る、つまりどちらかを捨てる、ということだから当然のことながら慎重になる。もちろん日々の小さな事柄の選択に関しては、多くの人は、きっとその日の気分や直感で選び、少しばかりハッピーになったり(満足したり)、がっかりしたりしながら、小さな経験値を日々積み上げ、次なる選択の際に活かすための糧としている。

もっと人生にインパクトの大きい選択を迫られる時は、A をとった場合とBをとった場合のそれぞれの長所と短所を天秤に掛け、ときにはその結果通りに、またときにはあきらかに短所の項目が多いけれど、やっぱり一つの強烈な長所に惹かれて、そちらを選んだりもする。

ママンの中では、人生で一番重要なポイント、もしくは生きることの意味とも言い換えられると思うけど、それはハッピーであること。なので、何かの選択に迫られた時には、どちらを選んだ方が、自分が、そして自分のまわりがハッピーだろうか、と考える。もちろんまずは自分のハッピー。勝手かもしれないけど、自分がハッピーでないと、周りにもハッピーをあげられないと思うから。なので、まずは自分がハッピーでいられる確率が高そうな方を考えてみる。

どうしても答えが出ない場合は、無理に選択しない。

結構、時の流れに身を任せてみたり、宇宙の力に導いてもらって選んでもらったりもする。つまり、自分が決める前に、自然と決まってしまった、みたいな。

どういうことかと言うと、どうしても決められないときって、実はまだ決断しない方がいいタイミングのときなのかもしれない、って思ったりもするから。そういう時は、とりあえず、あまり無理に答えを出そうとせずに、一旦、現状からちょっと離れてみるようにして、他の事柄に集中し数日過ごしてみる。数週間でもいい。そうすると、やっぱり時間って確実に流れてくれていて、気づいたら状況が変わっていたりして、結果的に自分が選択しなくても、答えに流れ着いていることもある。それとか、何か全く”選択”と関係のないことをしている時に、ふと、答えがひらめくこともある。

意外と流れ着いた答えって、自分が無理やり出す答えよりも正解だったり、理にかなっていたり、幸せの方向に導いてくれていたりする。

そして、一旦選択したり、時の流れや宇宙の力に導いてもらって答えに流れ着いたら、後はもうひたすら、その選択肢が一番自分の幸せにとってよかった、と信じる。

もしかしら、短期的に見てみると後悔することもあるかもしれない。間違った選択をしてしまった、と思うこともあるかもしれない。でも、きっと長期的にみたら、それが絶対に自分にとってプラスだった、自分の幸せのためにはベストだった、と思うようにしている。

だから、今、どんな状況であろうとも、それはきっと自分の人生で必要であったこと、自分の幸せのためには通るべく道であったのだ、と信じるようにする。また、今後の人生を築いていくためにも、自分を開花させるためにも、今置かれている状況から、最大限のことを学んでみようとする。

そうすると、すべてのことに意味があるような気がしてきたりするのです。

そして人生で一番重要なこと、ママンにとっては、”ハッピーでいること”、を基盤においていると、自然と宇宙がハッピーな方向に自分を導いてくれているような気がしてくるのです。

そうそう、まずは自分にとって、人生で一番重要なことを考え、選択するときにはそれをベースに選んでみると、自分が思い描くような人生の方向に少しずつ少しずつ近づいていくような気がするのです。というかそう信じて、希望を持ちながら人生歩んでいるのであります。希望がある方が人生、ウキウキするもんね?

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