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「生き方」について思うこと

皆様は、”生き方”について考えることはあるだろうか。

どんな人生を歩みたいか。どんな人生が幸せなのか。

幸せになるためには何をしたらいいのか。。。

ママンは、哲学者や心理学者、もしくは実業家など、属に言う”成功”した人や、もしくは生き方についての研究者やプロの自論を聞いたり、読んだりするのが好きだ。

彼らは一体、”生きる”ということについてどのように考えているのだろうか。どういったヴィジョンや哲学を持って生きて来たんだろうか、ということがとても気になる。

時々、宗教を持つ人を羨ましいな、と感じることもある。

宗教があれば、教えが”道”を示してくれるし、その指針に従っていれば、多分安心して、それなりに迷いもなく、それなりに幸せな人生を送っていけるような気がするのだ。しかも、同じ教えと価値観を共有する人たちと共に。

そのように考えると、やっぱり宗教というのは強力な心の支えになると思う。

おそらく多くの日本人のようにママンは宗教を持たない。

なので、常に社会一般、もしくは自分が信じる道を見つけ、確認し、進んでいくしかない。ある意味、とても孤独で、とても心細い。

かといって、特別この宗教を信じたい!とか組織の一員になりたい!というのはない。

だからなのかもしれないけれど、世に名だたる方々が書いた人生論的な本はいつもとても興味深いと感じるのだ。

そして今、読んでいるのが、京セラとKDDIを立ち上げ、それぞれ大企業に育て上げた稲盛和夫氏の「生き方」という本。

ママンファミリー行きつけのおいしいビザ屋さんの書籍に並んでいた本。

いつものピザが焼かれている間に、題名に惹かれて手に取り、夢中になって読み入ってしまった本。

もちろん、ピザが焼きあがるまでに読み終えるわけもなく、プロローグを読んで感銘を受けたので、即アマゾンで購入したのだった。

稲盛氏が「生き方」を通しておっしゃっている人生論は心から素晴らしく、要約すると、”謙虚な心”、”足るを知ること”、”利他の心”、”勤勉であること”、”正直であること”等、ご本人もおっしゃる通り、まさに小学校の道徳の授業で習ったであろう心・態度を人生の基盤として生きることの重要性を説いている。

また、世のため人のために一生懸命働くことの大切さ、強く望んだこと、そして限りない努力をしたことは、神様もしくは宇宙が力を貸してくれ、成就に導いてくれること、生きる目的は、よりよい人間になること等、まさにママンが日々考え、感じていること、もしくはそうであって欲しいな、と望むことを言葉に示してくださっているような、そんな気がしながら読んでいたのだった。

ところが、読み進めていくうちに、だんだんと、待てよ、待てよ?!という気になってきた。

何かがひっかかるのだ。

確かに、神の思し召しが聞こえてくる程にまで、とにかく一心不乱に勤勉に働き続けるストイックさには、尊敬の念を覚える。また、そこまで限界に挑戦するほどみんなが足並み揃えて同じ目標に向かって躍進していたら、確かに、素晴らしいものを生み出せるのは間違いない。

けれども、ママンは女性であり、妻であり、そして母であるので、どうしてもそういう目線で物事を見てしまうのだけど、そういえば、ご家族がいらっしゃるはずだよね?奥様はさみしい思いや大変な思いはしなかっただろうか(おそらくママンの親世代の女性はほとんど皆そんな思いをすることもあったろうけど、それが一般的な女性の姿だったので、きっと女性の人生はそういうものとして受け止めていたんじゃないかとも思う)。もしかしたら他にやりたいことがあった可能性もあるのではないか。

子供達は、ほとんどパパ不在だったろう生活をどのように感じていたのだろうか。

とか、そんなことを考えてしまうのだ。

もちろん、昭和の時代の話なので、夫婦の役割分担が決まっていて、夫が外で仕事をしお金を稼ぎ、家や子供のことは妻が取り仕切るのが普通だったし、それが家族の姿であり美徳でもあった。

また、そんな大物のようなお父さんたちが日本社会には多く存在し、またそんなお父さんたちの頑張りのおかげで日本経済が急激に発展し豊かになったのも事実だ。

けれども、仮に妻もフルタイムで夫と同じように働いていた場合、果たして、夫はそこまで一心不乱に仕事のみにエネルギーを投資することができていたのだろうか?と疑問に思ったりもするのだ。

そこまで大物となった男性たちが活躍できたのは、影で支えてくれている妻がいたからに違いないと思ってしまうのだ。

衣食住の環境を万全に整えてくれ、夫が仕事に集中できるように、ある意味自我を殺して、家族を支えることに専念してくれた妻の存在があったからこその結果。妻がそこに幸せを感じながら生きていたのか、苦しんでいたのかは別として。

そのように考えると、女性が社会進出した今、昭和の時代と同じような哲学と価値観を職場で強要することはできないと思うのだ。

子供のいる女性は時間的制限があり、限界まで仕事に打ち込むことができないので、その時点で、”制約のない”男性一般とは同じ土俵では戦えない。

つまり、”勤勉”でありたくても、物理的に、”勤勉”でいることができない人もいる。限界まで挑戦したくても物理的にできない人もいる。

結婚して家族を築く道を選ぶなら、女性であろうが男性であろうが、やはり家族という小さな社会をまずは大切にする必要がある。その大切なものを隅に置き(忘れ)、自分の仕事だけに邁進するというのは、ある意味、自分中心的なやり方にすら見える。

おそらく、昭和のお父さんたちみたいに、今、母である女性が同じようにストイックに仕事に邁進したら、自己中心的と思われるのではないかと思うのだ。

それってやっぱり男女の役割分担という社会的固定観念によるものからくるんじゃないかと思う。

多様な価値観や生き方、ダイバーシティーがある今日、やはり多様な働き方や哲学に寛容にならなければならないと改めて思うのだ。

家族との時間を大切にする、という価値観。女性の生き方や仕事観に対する寛容とサポート。

それらを踏まえた上での勤勉は多いに奨励すべきだけれども、やはり何事もほどほどに。結局は”バランス感覚”が大事なんじゃないか、といつもの結論に行き着くいてしまうのです。

今、ママンが欲しいのは、昭和の男の生き方論だけではなく(それはそれでとても興味深く、とてもお勉強させていただいているのですが)、すべての要素を大切にしながらも人生を全うしている大先輩たちの生き方論も知りたいな、と思うのでした。

またまた長くなってしまいました。熱く語っていたつもりが、内容が重た過ぎたのか、だんだんと眠くなって来てしまいました。最後までお読みいただきどうもありがとう❤️

 

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