サイトアイコン ロンドンの色・パリの味

”お金持ち”と”幸せ”の皮肉な関係

先日、アメリカに住むお友達(そしてこのお友達というのがタイ出身のお嬢様で旦那様はとある企業のCFO(Chief Financial Officer)。社会的にとても”成功”していて裕福であること、そして二人は子供はいないけれど、お互いをとても尊重し合い、必要としていて愛し合っていることを事前に書いておく必要がある)と久々にスカイプをして、”なるほど~”と感じたこと。

彼女とはよく哲学的な話をする。

出会いはパリのソルボンヌ大学でフランス語を学んでいた頃。授業の初日、たまたま隣同士に座り、話を始めると誕生日が同じだと発覚!一気に意気投合し、よく二人でカフェに行っては、あらゆるテーマでおしゃべりをしていた。

当時、私たちの中では非常にinsightful(示唆に富んでいて)で興味深い話をしていると自負していた。もちろん、普通の20代半ばの女の子たちのように恋バナをしたりショッピングをしたり、一緒に”Sex and the City"を見てキャッキャしたりもしていたけれど(笑)。

そんな彼女がそのうちイギリスの血の濃く入ったスペイン人のビジネスマンと出会い、彼らはパリのアパルトマンで一緒に暮らすことになった。

そのうち彼のキャリアアップのため絶好の機会と思われる転職のチャンスを得て、アムステルダムへ越し、その2,3年後に更なるキャリアアップを目指してアメリカに渡った。

最後に彼女とface to faceで会ったのはおよそ10年前。

けれどもこうして時々手紙や贈り物を送り合ったり、スカイプで話したり、チャットをしたりしている。

そんな彼女、最近の”悩み”はライフ(生活)が益々複雑になっているということ。

昔の方がよっぽどシンプルで、人間味があって、幸せだった気がする、と。

どういうことかというと、彼と出会った頃は二人でパリで割と小さなアパルトマンに住んでいて(当時の私からすると、立派で素敵なアパルトマンだと感じていた)、たいした所有物はなかったけど、何だか毎日満たされていてとても幸せだった、と。

ところがその後、彼のキャリアアップが進めば進むほど、家も大きくなり、所有物も増え、財産も増え、高級スーパーに行くようになり、高級レストレンで食事をするようになり、時には高級ジュエリーショップに行き素敵なアクセサリーを買えるようになった。

けれども、同時にストレスが増え、気分的に落ち着かなく満たされない状態が続いていて、”幸せ”という感覚とはほど遠いように感じる、と。

良く聞いてみると、CFOの旦那様はもはや忙し過ぎて、せっかく快適な家があるのにほとんど家にいる時間がない。家にいても頭の中は仕事のことばかりで、心ここにあらず状態が続いている。長期休暇なんてもっての他。唯一の気晴らしは時々二人で行く高級スーパーでの買い出しや、外食をするとき。

また仕事のストレスからか、神経系の病気に苛まれた時期もあり、病院やセラピストのところ通ったり、数種類の薬を使わざるを得なく(米国では医療費はかなり高額だとか!)、収入のかなりの部分を医療費に費やすことになったとか。

また所有物や財産が増えると、今度はそれを管理したり、いかに守るかということを考えざるを得なくなり、これまたストレス。

それらがないときはなくなる心配もなかったけど、今はそんなことまでに神経を尖らせている必要があり、気疲れが絶えない。

といった話を聞きながら、そんな世界を知らないママンは、”そっか~、そう言うもんなんだね~。でも、社会的ステイタスやお金があると、選択の自由が増えない?それってとても素敵じゃない?”と言ってみた。

すると、何と笑い出す彼女。

おそらくママンの無知でノー天気な質問に呆れたのか、”自由だなんて、ほど遠いよ!自由にでかける時間もないからライフを満喫できないし、逆に選択肢がありすぎて、この前なんかテレビを買うのに画面の前で5時間も迷ってしまったの!”

”ほーほー”、ママン、返す言葉見つからず。。。

未知の世界だから聞いていて”面白い”けれど、うっすらと想像できなくもない。

一旦、その”世界”に入ってしまうと、逆戻りはなかなかできないんだろうなーと思う。

一旦高級食材に慣れてしまうと、普通のスーパーでは満足できない。

一旦高級レストランが日常化してしまうと、普通の外食が楽しめない。

一旦上がってしまった生活レベルを落とすことはかなり大変(屈辱的に感じるのかもしれない)なんだろうなと想像する。

また、おそらく付き合う人たちやグループも変わって来て、”お金と権力”のためだけに近づいて来る人たちもいるだろうし、いわゆる見栄の張り合いといううものがあったり、そんなことにもそのうち疲労困憊するのかもしれない。

と、考えると、彼女たちのパリでの割と小さなアパルトマン時代は確かにシンプルで幸せだったのかもしれないと思う。

とは言え、上昇するのが成長、そして人間というもの。

変化や成長のない人生は退屈であると感じてしまう。

人生には様々なステージがある。

仕事がトッププライオリティーの時もあれば、家族や子供がプライオリティー、自分たちのゆったりとしたライフスタイル、もしくは健康を守るのがトッププライオリティーの時もある。

何事もバランスで、盲目になってしまってはいけない。

状況を常に冷静に判断し、長期的な視野で、自分たちにとっての一番の幸せな姿(バランス)を念頭におきつつ、現状をきちんと把握しながら、今日という日を全うすればいいのかなあと思う。

ちなみに彼女たちは、後1,2年はこのような極めて多忙な日々を続ける、とのこと。

その後は、資産もある程度貯まるので、もっとゆとりのある自由な生活、生きることを堪能できる生活をしたい、とのこと。

彼女とのスカイプでのおしゃべりを通して、物質的な豊かさと幸福感の皮肉な関係を見た気がした。

 

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