12年強の欧州生活にピリオドを打ち日本に本帰国してから3年、時々日本の将来が不安になることがある。
まず、「あれ?昔はこんなんだっけ?」と感じてしまう、当時まだ日本にいた頃と明らかに違うと見える点は、国としての全体的な雰囲気に活気がなくなったと感じるところ。
これは街の雰囲気だけでなく、報道の内容や人々が話していること、そして、国を包むオーラみたいなものが、何とな~く沈んでいるように感じるのだ。
もしかしたら、EU離脱が決まった直後でまだ景気も良く、街や国全体の雰囲気が活気に満ちていたイギリスから来たから、よりギャップを感じたのかもしれない。
けれども、国の”元気さ“を測るバロメーターがあったら、当時のイギリスと現在の日本の違いは明らかであると思う。
日本は、超高齢化時代に入っていて、年々人口減少が進んでいるのでまあ仕方がないかもしれない。
確かに、東京の都心に行けば、建設ラッシュなのか益々お洒落でモダンなビルが次々に出現しており、そこだけ見れば、かつて”元気であった頃”の日本を想起させるけれど、日本全体としてみると、こうして”元気”なのは、ほんのごく僅かなエリアであるように見える。
時々、国内の田舎町に行くと、その衰退してしまい、廃れてすらいるような様子に胸が痛むほど。
きっと若者は仕事や刺激的な生活を求めて都会に出ていくんだろうなと想像する。
こうして若者の去った田舎町は、高齢者ばかりが取り残されて、そのうち過疎化が進み、もはや街として機能しなくなってしまうのではと懸念する。
また、近年のうちに年金システムが崩壊する、だとか、老後2000万円問題やら、消費税増税だとか、人々がお財布の紐を益々固く締めたくなってしまうようなニュースばかりが溢れている。
そしたらやっぱりお金を使いたくなくなるのは当然だ。
将来が不安だから。
当然のことながら、将来のためにできるだけ確保しておこうとなり、必要最低限のものにしかお金は使わなくなる。
となると、夢や希望は持ちにくくなるし、何だか気分的にも落ちてしまう。
無駄な消費をしないのは環境にも優しいし、いいことではあるけれど、”楽しい”、とか”おいしい”の体験や所有の喜び・満足感を得られることには何でもお金がかかる。
たった一杯の好きなカフェでのコーヒーや、読みたい本までも躊躇してしまうような状況が日常となってしまうのはやはり苦しい。
欧州では夫婦共働きが主流だからか、家計としては日本の一般家庭よりも割と余裕がある家庭が多いような印象がある(あくまで街に住む一個人としての印象)。
イギリスで働いていた頃は、同僚たちはしょっちゅう海外旅行をしていた。休みの旅に飛行機に乗り、どこかに出かけていた。オフィスにも華やかな服を着ていたし、よく素敵なレストランに食事に行っていた。
浪費するのがいいわけではないけれど、自由に使えるお金がある方が心の余裕と楽しみは増える。
みんながもっとお金を使えるようになれば、街の雰囲気も自然と活気に満ちてくるのではと思し、もっと将来に対する見方が明るくなり、人々の表情、そして国全体の雰囲気も元気に明るくなるのではと思う。
日本に来てからは、何となく、”節約しなきゃ”、という雰囲気が、特に子供のいる家庭では、とてもあるように感じる。
あまりに消極的になってしまっている日本の姿に、多くの市民は慣れ過ぎてしまっていて、特に危機感すら感じていないように感じるのだ。それが危機であると感じるのだ。
このままでは危ない!
それこそ欧米のように、多くの移民の助けが必要になるのではと思えてくるほど。
とは言え、これについては一個人の私としては解決策はわからない。政治家の皆様に頑張ってもらうしかない。
それから、もう一点、これは危険なサイン!と感じるのは、やたらとネット上で一個人の意見を叩く、ネットバッシングが尋常ではないこと。
例えば最近の件で気になるのは、環境問題を訴えるグレタさんの件。
確かにとっても変わってる子供だとは思う。自身もアスペルガーと認めている。けれども、主張している内容については必ずしも間違っていない。激しすぎるのは確かだけれど、activist(活動家)というのはそもそも強く激しい意見を持っているものだし、あらゆる意見を持つ人々がそれぞれ主張をして妥協点を見つけていくというのが本来のあるべき姿であるように思う。
たった16歳という年齢で世界中の人に向けてあれだけ強く意見を主張できるとはすごい勇気だと思うし、そういう意味では尊敬に値する。
けれども、彼女の表情や言葉があまりに強烈だったからか、ネット上でのコメントを斜め読みしてみたところ、真っ向から毛嫌いする人が大半で、意見にすら耳を傾けていないように感じた。
バッシングの仕方の方がむしろ彼女の主張よりも強烈で私には怖いと感じた。
また、ユニクロの柳井会長の日本の現状に対する警告についても、相当叩かれていた。
けれども読み進めてみると、”確かにそういうところは否めない”と感じる部分が多々ある。
もちろん同じ日本人として不愉快に感じてしまう部分はある。けれども、彼は、世界のトップビジネスリーダーの一人だ。一般庶民である自分に比べたら、どれだけの経験値があり、どれだけの人を知っていて、どれだけ世界を見ていて、どれだけの手腕がある人かと考えると、そんな人の意見なのだから、ただの感情論だけではない、というのは明らかである。
それを、不快というだけで、真っ向から拒否反応、聞く耳持たずで、ひたすらバッシングをする視野の狭さと傲慢さには正直、驚きを隠せないし、危険だとすら感じる。
まるで、単に人を激しく否定してバッシングしてストレス解消して自己満足しているかのように見える。
これらは最近のニュースのコメント欄を見て、恐怖を感じたエピソードだけれど、このようなことは日常茶飯事であるように思う。
どんな意見であれ、まずは声を聞いてみようよ。と思う。
どんな意見であれ、どうしてそう思っているのか、想像してみようよ。と思う。
物事に絶対はない。
必ず、主張する背景があるわけだし、100%間違っているというのはあり得ないと思うのだ。
なのにどうして真向から否定できる?
反対意見を持つのはいいことだけど、単に不快だからという感情論で全てを片付けてしまったら、全く建設的な意見交換ができないし、意見を持つことすらできなくなる。
少し熱くなってしまいました。
こうして近年の日本に大きな二大危機感を感じた最近の私の意見でした。
少し頭を冷やして寝ようと思う。