時々哲学的な話で盛り上がるタイ人の友人がいる。
彼女はタイ人というものの、中学生からオーストラリアのボーディングスクール(寄宿舎のある学校)で育っているので、タイ人なのか西洋人なのか、話していながら時々わからなくなることがある(笑)。
というか、厳密に言うと友人と話していて、別に相手の国籍を意識することはほとんどないけれど、よくよく考えてみると、そういえば彼女、見た目はアジア人だけど、話し方や行動は、やはり西洋人に近いかな、と感じる。
さて、そんな彼女との出会いは、パリのソルボンヌ大学。
一人パリに渡った25歳の頃に通っていた外国人のためのフランス文明講座のクラス。
初日に席が隣同士になり、誕生日もまさかの同じ日ということが発覚し、その後意気投合し、彼女が翌年アムステルダムに引っ越しするまでの約1年間、かなりつるんでいたのだ。
そんな彼女とは、かれこれ15年以上、遠距離友達をしている。
たったの1年のみ同じ土地で過ごし、その後の約15年は離れ離れ。
けれども、割と頻繁に連絡をとっていて、ときどきスカイプやFace Timeをしている。
パリ在住時代は、よく学校帰りにカフェに立ち寄り、色んな話をした。25歳であった当時の私たちの中では、もちろん恋バナが会話の中心ではあったけど、それでも時々将来のこと、仕事のこと、やりたいこと、人生について等、あらゆるトピックについてかなり深く議論していた。
彼女は哲学的な話が割と好きなのだ。
私は私で、哲学的な話は、過去に付き合っていた日本男児たちが、かなりディープに哲学&文学少年たちだったので、そんな類の話にはそれなりに興味もあり、それなりに慣れてもいた。
逆に今は、日々仕事と家事で手一杯(頭も一杯)なので、抽象的なことや複雑なことについて考える余白もエネルギーもなく、残念ながら、ただただ淡々と生きている風になりつつある。
そんな中でも、時々、”そういえば、私のテーマ(モットー)って何だろう?”、”私という人間を一言で表すとしたら何になるだろう?”とふと考えることがある。
ぴょん!とすぐにでも言葉が出てきそうだけれど、何気に見つからないではないか!
私って一体何者?いや、何だろう?わからない、わからないのだ!
お友達の彼女は現在アメリカ在住なのだが、最近、オンラインの哲学グループのディスカッションに参加していると聞いた。
そんなこともあり、試しに彼女に、彼女自身のライフテーマとか、モットーて何?
自分のことをどういう言葉で表現する?
と言いてみた。
物事についてじっくり考え、ウィットに富んだ彼女のことなので、どんな言葉が出て来るか、とてもワクワクしながら待っていた。
ところが、”いや、そもそも自分を定義しようとすること自体が間違っているのでは"、との返信が来た。
人間は時の流れや経験とともに変わる存在だし、その時々でプライオリティーや考え方も変わる。なので、それを一言で定義づけたり、表したりすることはできないし、すべきではない(定義づけるべきではない)と。
なるほど。
彼女の説明に妙に納得してしまった私。
確かにその通りで、日々変化する存在だし、あらゆる要素のある一人の人間を一言で表現することはできないし、もしかしたら定義づけたり、一言でもって表現するのはあまり意味のないことなのかもしれない。
昔、確かアボリジニーについての本を読んだ時だったと思うけど、彼らはどうやらライフステージが変わる度に名前が変わる、ということに衝撃を受けとても強い印象として残った。名前は唯一不変ではなく、流動的なものだとは!
そういえば、私はパリ在住時代は、スピリチュアル系なことに長けている変わった友(笑)フランス人の友人から、私は、”探し求める人”と言われた。
確かに、おそらく私は何かを探し求めてパリに渡ったと思う。
それが、人生とは?の答えなのか。パリでの生活様式を知ることだったのか。欧州での仕事の経験だったのか。はたまた人生のパートナーだったのか、それとも全部なのか、明確な答えはない。
けれども確実に何かを探し求めて飛び立ったのは確かだ。だから当時の私は、確かに探し求める人という表現は適切だったと思う。
果たしてあれから15年程経過した今はどうだろう?
今は、”仕事”を通して、やはり何かを探し求めている気がしている。
その何かが、はっきりはしないものの、おそらく人生についての答えではないかと思っている。どうして自分は生かされているのだろうか。自分は何の役目を果たすために生まれて来たのだろうか。
きっとその答えを見つけるために、無心に働いているような気が時々してくる。
という意味では、ライフステージがガラッと変わった今でも、私はある意味、探し求める人。
では、近い将来はどんな人でありたいか。
どこに向かおうとしているのか、どんな姿を想像しているか。そのヴィジョンについては、それを表現する言葉やイメージがあってもいい、いや、羅針盤としてあった方がいいのではないかと思い、少し考えてみた。
ふと脳裏に浮かんだのは、たった一人でも二人でもいいから、ポジティブな影響を与えられる人になりたい、と。
これまでは探し求めてばかり、答えを求めることに全身全霊を込めて生きて来たけれど、これからは、むしろ与える人でありたい。これまでの人生で得て来た経験や知恵をシェアして、人の役に立ちたい、そんな風に強く思っている。
少しずつ、Takeだった人生からGiveのステージに移動せねば!
そんなことを一人考えながら熱くなってしまった今夜。3年後には胸を張って、“私は求める人ではなく、与える人だ!”と言えるようになっていたい💛