こんばんは。子供たちの夏休みもやっとゴールが見えて来ました!
いや〜、長い!長すぎる(笑)!いい加減、子供たちも早くお友達と会いたくなって来た様子。
そして早く平常通りの生活に戻りたいママン(笑)。
さて、随分と時間が空いてしまいましたが(夏休み中はママンも夏休み気分に浸っていましたが、やっと少しは真面目な勤勉な日々に戻りつつあります!)、前回に続いてMBA体験談を回想して書いていこうと思います。ちなみに、前回までの記事は↓をご参照ください。
MBAの授業が始まり、その難解さと課題の多さ、そして極めて困難なタイムマネージメントからくる、それまでの人生では味わったことのない究極のストレスを感じながらどうにか日々をこなしていた始めの3、4ヶ月。
そうは言うものの、もちろん、授業がある度に、何て興味深い講義!とか、何て頭のよい先生!とか、何て面白い題材、教材、そして学生たち!と、毎回のごとくある種の”興奮状態”も同時に味わってもいたのだ。
とまあそんな数ヶ月を過ごした後、だんだんと”いかにうまく手を抜くか”という方法を見出せるようになり、よい意味で、大分肩の力を抜いて取り組むことができるようになって来たのでした。
同時に、心に余裕が出てきたのか、だんだんと、愉快なクラスメートたち(北米人、中東人、アフリカ人(特にナイジェリア人)、そして欧州人が大多数を占めていた)が、とても愛おしい存在に感じられるようになり、時々みんなで食べ&飲みに行ったり、勉強会をしたりするようになってきたのでした。
となると、自然と学校も楽しいものとなり、学生同士の間でも協力体制が形成され、ストレスの元となっていた課題も、心から楽しんで取り組めるようになって来たのでした。
ここまで来ると怖いものなし!(笑)。そのまま勢いに乗り、気づけば、後残り僅かで1年目も終了!というところまで来ていたのでした。辛い時は永遠に続くように感じられたけど、調子づいてくると、早い早い!あっという間です。
さて、卒業に必要な単位に換算される授業のほとんどは1年目にこなすことになっているのですが、そのクライマックスはニューヨークにある提携大学院で3週間に渡って行われる授業を取得すること。
というわけで、4月、5月頃から、ニューヨーク行きの準備がボチボチ始まり、ママンはAirbnbでブルックリンにあるフラットを予約し、当時4歳になったばかりだったお兄ちんを、両親、そして義両親にそれぞれ預ける依頼をし、またその他全てを夫に託し、7月に一人でニューヨークに渡ったのでした。
ちょうど今から5年前の夏。
初めて訪れるニューヨークに大興奮であったと同時に、4歳になったばかりの息子のもとを3週間も離れることに多大な不安もありました。
また、不安ばかりでなく、”私は一体何をしているんだろうか?”、という自問自答や罪悪感に押し潰されそうになったことも多々ありました。
とは言え、やはり未開の地での一人旅はやはり何とも貴重な体験なのでした!
しかも刺激に満ちたニューヨークの街で3週間もの間、知的探究心が刺激される授業を毎日受け、授業が終わると街を散策。そして、夜はルームメートと話したり、勉強に専念したり。。。
こんな風に自分のことだけを考えて生活できる身軽さに、何とも開放感!
何にも追われることなく、自分が選んだことだけに時間が使え、集中できる!
結婚し、子供が生まれてからは味わったことのなかった感覚。"The freedom"!!!
母になってしまうと、寝ている時以外はほぼ24時間体制で”母”の役職をまとい、外すことはできない。
けれどもこうして物理的な距離があると、よくも悪くも”母”であることから少しばかり離れることができるので、母である自分を見つめ直し、”真”の自分と向き合える貴重な時間になるわけです。
さて、そんな”自由”なニューヨークでの夏の日々でしたが、途中でジョインした夫とは、ジャズバーに行ったり、ミュージカルを鑑賞したり、クラスメートたちとみんなでおいしいものを食べに行ったり、ニューヨークに住む教授の御宅にご招待されたり、などなど、MBAを受講していなかったらできなかった体験を数々させていただき、ママンにとっても夫にとっても、大変有意義な滞在となったのでありました。
そしてまた、パリからニューヨークへ引っ越してしまっていたレバノン人の心の友とも数日間、一緒に過ごすことが出来たのも、ママンの中ではNY滞在の醍醐味と言っても過言ではないほど喜ばしいことだったのでした。
そして気づけば、MBAも残すところ夏の講義の課題と、数回の授業、そして修士論文のみに!
すでにこの時点で、戦いは終わった感満載なママン。パリへの帰路はなぜか感無量。
まだカリキュラムは終了してもいないのに、一足早い達成感と、脱力、あらゆる体験に対する感謝、感動、そして3週間半ぶりに息子と会えることへの喜びと興奮。。。様々な感情が入り乱れ、機内で一人涙をハラハラと流し続けるママン。
こんな風にしてMBAの日々は終焉に向かっていったのでありました。