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イギリスの学校と日本の学校

前にも何度かイギリスの学校について書きましたが、今日はまたちょっと違った視点から。

今こうして日本に暮らし、日本の視点からイギリスを見てみると、やっぱりイギリスはそもそも国全体が”fun-loving"(楽しいこと好き)な雰囲気で、もちろん自然と学校も"fun"なところなのだと感じる。

実はその"fun"、学びにも多く見られる。どういうことかというと、ゲームをしながら覚える、とか、最新テクノロジーを駆使し、遊び感覚で学習する、といったことが奨励されているのだ!

当時お兄ちんはまだ小学校低学年だったのにもかかわらず、学校ではパソコンやインターネットを頻繁に使って調べものをしたり、ファイルの作成の仕方を習ったり、オンラインで算数ゲームをしながら、計算練習をしたり、プログラミングの基礎となるコーディングについてのゲームをやったり、と、とにかくよくテクノロジーを学びに用いていました。しかも、どれもゲーム感覚でできるとっても楽しいものなのだ。

イギリスの強みは、まさにinnovative、革新的であることだと心から思う。とにかく新しいものを取り入れる。世の中の変化に柔軟に素早く対応する。そしてまた、クリエイティブであることが奨励される。

また、英語(イギリスでは国語)と算数の授業は1年生の頃からレベル別(1年生から3年生までひっくるめて、能力別に6レベルくらいに分けていた)であった。

そして授業では、どんどん新しいコンセプト(考え方と言ってよいのか)を学ぶのだ。

例えば、掛け算や割り算に関して、それが何を意味するのか。生活の中でどのような場面で用いるのか。その考え方はどういうことなのか。ということに関して学ぶことに重点がおかれ、計算のドリル学習のようなことはあまりやらない。なので、すでに7歳で割り算の考え方を学んでいたし、8歳ではマイナスの計算(−1−3=とか)を勉強していた。

果たしてそれが良いのかは正直わからない。ドリル学習というものをほとんどやらないため、基礎学力を比べたら確実に日本の子供の方がよくできると思うから。

けれども、イギリス人は合理的なので、結局、実社会では計算をするのは機械(パソコン等)なので、暗算で確実な回答を出すことにそれほどの価値を見出していないのだ。なので、おそらくその考え方自体を学ぶことに重点がおかれていて、頭で正しい答えを出すことがそれほど重視されていないのかもしれない。

また、データ(グラフ等)から何を読み取れるか、ということを考えさせるようなエクササイズもよく宿題に出ていた。こうした小さい頃からの日々の訓練によって、情報を読み取る力、データを分析する力、またfindings(わかったこと)をまとめる力がつくんじゃないかな、と思う。

実社会ではやはりこういったスキルが重宝される。

一方、お兄ちんが数ヶ月間通っていた日本の普通の公立小学校。授業参観に行って衝撃だったのは、ママンが小学生の頃の授業風景とほぼ変わりがない、ということ。

先生が言ったことをみんなで一斉に繰り返す。誰かが回答をしたら、それを追うように全員で一斉に「同じです」、と言う。

こりゃ〜、みんなの波に乗れなかったら浮いちゃうだろうな。とか、こんなにシーンと静まった中で間違った発言をしたら恥ずかしいだろうな、という雰囲気であった。

あれから約30年という月日が流れていて、その間に、世の中は驚くほど変わっている。特にグローバル化とインターネット等テクノロジーの進歩は甚だしい。

それなのに、教育のやり方は驚くほどに変わっていない。

そういう意味では、日本の教育は保守的であるな、と感じる。このままで本当に大丈夫なのだろうか、と危機感を覚えてしまうほどに。

フランスの学校も、実は日本の学校に近いものを感じる。やはりこれまた30年前の教育法とそんなに変わっていないのではないかと感じるほど、結構保守的だ。

と思うと、やはり”アングロサクソン”がある意味、現代の経済世界で一人勝ちしているのが納得出来るようにも思えてくる。

とは言え、比較的シンプルな言語である英語だけを学べばよいイギリス人(とその他アングロサクソン)と、数千個の漢字とひらがなカタカナを学び、その上英語を学ばなければならない日本人とを比べると、グローバルという舞台に立ったときに、日本はかなりハンデを背負っているような気もする。

グローバル化とテクノロジーの進歩を素早く教育に取り入れるイギリスと、”古き良き”やり方にこだわる日本。

世界の様々な違いを目の当たりにするのは、とてもinspiringでとても興味深いと感じるのであります!

 

 

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