サイトアイコン ロンドンの色・パリの味

海外は日本と比べて暮らしやすいのか

週末はいかがお過ごしでしたか。

我が家は、兄夫婦に時には夜のデートに行ってもらおう♡ということで、3人の子供たちがお泊りに来て、ワイワイした週末となりました。

兄夫婦も数年ぶりの夜のデートに大興奮♪

とっても楽しかったようで何より♡

子供のいる夫婦にとって、子供からしばし解放される時ほど気持ちをリフレッシュし、体力と気力を充電できるひとときはないんじゃないかと思うほど、貴重な時間。

時には夫婦水入らずで外出することは、二人の関係を健康的に維持することにも貢献するのかなーと思う。

そんな機会を時々は取り入れていきたいので、今後も時々、そんな企画をし合っていこうと思っています!

子供たちにとっても、楽しい企画だしね♪

さて、今日は「海外は暮らしやすいのか」ということについて考えていきたいと思います。

もちろん、ここではママン自身の経験からしか語ることができないので、日本人としてパリやロンドンで暮らすことをメインに考えていきたい。

まず、暮らしやすいのか、については、”イエス”なことと、”ノー”なことがある。

まず、イエスについては、そもそもどこの国でも外国人として暮らすことの心地よさ、というのはあると思う。

日本の外に出ると、日本人として”こうあるべき”という枠組みがなくなるので、そういう意味で、社会から期待される行動規範(社会的圧力ともいう)をそこでは意識して行動する必要がない。

つまり、よく言う、”本当の自分”でいることが、海外だと比較的簡単にできるのだ。

時々、海外だとより人間らしい生活ができる、と聞くけれど、海外では、この”日本人として期待される行動規範”を発揮する必要がないから、より自然な自分になることができ、”人間らしく”いられる、ということもあるんじゃないかと思う。

だから、海外だと自由になれる!というのも、この社会的圧力や行動規範を意識する必要がなくなる(日本人としての枠組みや、”社会の目”から解放される)から、というのも大きいんじゃないかと思う。

外国人が日本だと暮らしやすい、と感じるのもこれと同じメカニズムなんじゃないかと思う。

自国での社会的圧力や行動規範(日本ほど強くはないとは思うけど)から解放され、さらに、日本では、”外国人”だから、ということで特別扱い。日本人と同じような行動様式をそもそも期待されていない。全てが”外人パス”で通ってしまう。どんなことをしようと”外国人だから仕方ないよね”と通ってしまう、つまり、評価が甘くなるのだ!

同じ国の人に対しては、ちょっとした粗相に厳しいのに、外国人に対しては甘くならざるを得ない。

なので、この”自国以外で生活することの心地よさ”、というのは、日本人が海外で感じるように、外国人も異国で少なからず感じていることだと思われる。

さらに、海外だと暮らしやすい、というか心地よく感じることと言えば、”特別”になれる、ということ。

日本にいると、日本人であることが普通なので、日本人であるということが個性にもならないし、特別光るものでもなく、意識することもない。

けれども、日本から一歩外に出ると、日本人であることが一つの個性となる。

自己紹介するときには、必ず自分は日本人である、と言うし、そこから会話が広がったりもするのだ。

要は、日本人である、ということが特別になるのだ。

もちろんこれも、日本にいる外国人にも当てはまる。

自国にいたら、ただの人なのに、異国へ行くと、特別感!

それはそれは、時には心地のよい感覚を得られたりもするのだ(笑)。

まるで日本の親善大使にでもなったように、得意気に日本の文化や日本語を教えてあげたり、日本人であるだけでやたら興味を持ってもらえたり。

というわけで、外国人であるだけで、ちょっとした”特別感”を味わえるというのも海外で感じる心地よさ(暮らしやすさ)になるのかなーと思う。

もちろん、この”特別感”というのは、外国人であるがために時として感じざるを得ないハンディキャップともなったりもするのだけど。

では次に、ロンドンやパリといった西洋ならではの暮らしやすさにはどんなことがあるのか考えてみたい。

長くなってしまいそうなので、続きは次回のお楽しみ♪

明日からまた月曜日。

1週間、元気に頑張りましょ~♪

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