海外に住むということ。
これについては、友達や周りを見ていて感じるが、強く憧れる人と全く興味ない人とに大きく分かれる。
私はというともちろん海外に強い憧れを持っていた人なのだが、海外の方が生活がしやすそうだからとかそういった思惑はまるでなく、単に、日本以外の地球上には、どんな人々がどんなものを食べ、どんな服を着、どんな家に住み、どんな生活をしているのだろうか、ということに多大なる好奇心があった。
カナダの大学に留学していたときには、心理学や経済学とともに、文化人類学という学問も勉強していた。
私はこれまで、カナダに約2年、メキシコに3か月、フランスに8年、イギリスに3年3か月と合計約13年半を海外で過ごしているわけだけど、海外で生活してよかったと思うかと聞かれたら、もちろん答えはイエス。
イエスだからといって、海外生活の間ずっ~とハッピーだったかと言ったら、全くそうではない。
人生で初めて”孤独”というものを強く感じて暗く寂しい時期を過ごしたこともある。図書館に籠って勉強ばかりしていて、”楽しい!”とはかけ離れた生活をしていた時期もある。慣れない海外生活のストレスで甘いものばかり食べ、3か月で8キロほど太ってしまったこともある(笑)。また、語学力が足りないがために電話先で見下さられたような扱いを受け、悔しくて泣いたこともある。外国人であるころによる”ハンディキャップ”をひしひしと感じ、居ても立っても居られないような強いフラストレーションを覚えたこともある。
こうして思い出してみると、まさに山あり谷ありな海外生活だったけど、この経験なくして「私の人生」は語れないのだ。
ではどうして海外に行って良かったか。大きく分けて二つある。
一つ目はやはり語学力。
日本に居ながらにして語学力を高めることもできるけど、圧倒的に現地で学んだ方が早いし、本物が学べる。
また、語学だけではなく、文化や生活、人々の行動様式、社会の在り方を学び、肌で感じることというのは、コミュニケーションを図る際に、語学力以上に大切となるからだ。
なので、そういった文化的背景を含めた語学力を身につけられたことは、視野が広がるどころか、人生の可能性を広げ、様々な人と交流を図り、関係を築くことができ、まさに人生をカラフルに、そして豊かにしてくれたと感じている。
次に、自分の”美徳”、”常識”、そして”思考”を再構築できたこと。
これは、海外生活で得られる大きな大きな収穫だと感じる。
当然のことながら、日本では美徳であり、常識であることが、一歩日本から外に出ると、ひっくり返ることもある。180度ひっくり返らなくても、90度くらい傾くことも多い(笑)。
例えば、日本では”仕事”の人生に占める比重がとても大きいけれど、海外では(アメリカは分からない)、仕事は人生の一部であり、人生を充実させるための手段と考えられていること。
パリではおばあちゃんたちは、おばあちゃんなのではなく、"女”であること。
当時75歳であったママンがお世話になっていたおうちの"マダム”。75歳とは言え、”女”であった。
常にローヒール、ストッキング、スカートをはき、スカーフを巻き、きれいにお化粧(チークまで!)をし、女であることを楽しんでいる風だった。
まるで、おばあちゃんと呼んでは申し訳ない気持ちを抱かせてしまうほどに。
パリでは年齢に関係なく、女性はいつまでも”女”を楽しんでいるように見えた。
そしてまた、子供が生まれても、ロマンチックな関係であり続ける夫婦。
結婚という形に縛られない恋人同士や家族。
子供は人生の一部であり、自分の人生も大切にする生き方。
メトロのアナウンスで「終点駅、タヒチに着きました。外は暑いのでお気をつけください!」と、仕事中でもジョークを忘れない遊び心(関係ないか?!)
社会人になっても、友達同士でパンとハムを買って来て、公園のベンチで即席サンドイッチを作って食べておしゃべりに夢中になっている女子たち。
そんな全てが、日本であった”こうすべき/すべきでないこと”や、”普通こうだよね”ということとは違うのだった。
そんな”違い”に触れ、これまで自分が社会との関わりの中で築いて来た物事の見方や固定観念が、ことごとく崩されていく。
これはある意味すごく快感だった。
「何だ!こうじゃなくったってよかったんだ~。」、「こういうやり方もあるんだ~」「こっちの方が心地いい~」といったように新しい価値観とめぐり合え、良い意味でこれまでの凝り固まった考え方が崩され、肩の力が下りた、というか、何だか心が軽くなり、自由になれた気がしたのだ。
おそらく、より柔軟になることができ、”違い”にオープンになり、自分というもの、そして自分の人生というものにもっと選択肢が増え、可能性が広がり、人生に、より自由に柔軟に立ち向かうことができるようになった気がしたのだ。
自分が形作って来た枠組み(悪く言うと檻のようなもの)、もしくは自分が作って来た眼鏡(フィルター)を一旦外すことができたのだ。
そうすると物事の見え方が変わってくる。よって考え方も変わって来る。
価値観や考え方、そして自分の中での常識を再構築することによって、これまでの”縛られて”いた感覚から解放され、より自由に自分の人生をつくり、歩んでいくことができるようになった気がしたのだ。
言ってみれば、自分自身をも再構築することができたような、そんな感覚。
というわけで、まだまだ海外で暮らしてよかったと感じる点は続くのですが、長くなってしまったので今日はここまで!
おそらく海外で一定期間暮らしたことのある方は同じような利点を感じている方も多いのではないかと思います。
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