パリで学んだことー”女性であること”を謳歌して生きる

パリで学んだこと、その②と言えば、”女性らしく”生きる、ということ。

女性らしく、というと定義が曖昧だけれども、ママンの中で”女性らしい”というのは、成熟した大人の女性、自立していて一見強いそうに見えるけど、官能的で女性らしい柔らかさや愛らしさを兼ね備えている女性、ということ。更に追求すると、知的で上品で、芯があり、それでいて愛嬌がある、ということ。

パリには上記のような”パリジェンヌ”が多くいるように思う。

パリの街で暮らし始めた頃、街行く女性がみんな”キレイ”に見えた。みんなスタイリッシュに見えた。一見自立していて強そうだけれど、困っている人がいたら颯爽と手を差し伸べていたり、彼氏にかわいく甘えていたり、もしくはとっても愛情たっぷりな母親だったり!

きゃ〜、何だか素敵❤️

これがうわさの”パリジェンヌ”?!と、そんな風に思ったのを今でもよく覚えている。

大学生の頃、実はあまり”憧れの女性像”、もしくは”なりたい女性像”というものが見出せずにいた。そもそも学生の頃は、あまり社会人と触れ合う機会もなかったので当然と言えば当然なのかもしれないけれど、”将来、あの女性のようになりたい!”というモデルが身近にいなかったのだ。

今思えば、無意識的に、卒業後数年仕事をして、その後結婚して、子供を産んで、主婦になる、というその”女性の生き方”の王道に憧れを見出せずにいたのかもしれない。当時は、”結婚して子供を産んで家族をつくる”ということが、ママンの中では疑いもせず、当然のこととして認識していたので、多分、”主婦”のようなイメージがどうしても未来の姿に見え隠れしてしまっていたんだと思う。けれども、そこにはどこか理想を見出せない自分がいたのではないかと分析している。

それが、パリで見かける街行く女性。一緒に住んだおばあちゃん。それからパリに渡る前に数ヶ月間暮らしていたメキシコでハウスメートだったパリジェンヌの親友とその友人たち。みんながとってもチャーミングで知的で、さらに女性らしくて、すごく素敵に見えたのだ。

そして彼女たちに共通しているのが、自分の”プロフェッション”を持っている、ということ。自分は何々の専門家だ、と自信を持って言える”スキル”、”経験”、もしくは”知識”がある。

それでいて、仕事オンリーとはならずに、女性であることを楽しみ、人生を楽しみ、そして愛嬌もあっちゃったりして、何ともバランスがとれているではないか!

これこそまさに当時のママンが目指していた女性像だった。

プロフェッションを持ち、自立していて、知的で、それでいて、愛情深く、愛する人たちとともに人生を楽しむ。

女性としての柔らかさを大切にしつつ、自分軸があり、ハードな部分も兼ね備えている、という何とも絶妙なバランス感覚を持つ。

ヤングアダルト(学生生活が終わり、社会人数年、20代半ば頃)という、これから人生を築いていく、という時期に、こうした目指す女性像に出会えたのはママンにとってとてもありがたい経験だったと思う。

”女性であることを楽しむ”ということに関して、学生の頃は、俗に言う”かわいらしい”というのが”女性らしい”ことの条件であると思っていた。多分、日本では世間一般でもそのように考えられていたように思う。あまり意見を持たず、ニコニコしていること。色のイメージでいうとパステルカラーのような。

残念ながら、好奇心とハングリー精神に満ちていた当時のママンは”パステル”ではなかった。

けれどもパリでは、”はっきりとした色”だけれども、柔らかい女性、セクシーでないけれど官能的な女性、仕事はきちんとするけれど、恋も愛も楽しむ女性、にたくさん出会って来た。しかも彼女たちは、それを”自然”とこなしている。というかそれが彼女たちにとっては自然の姿であるのだろう。もちろんそんな”素敵な女性”であるために、影でそれなりに努力をしているのかもしれないけれど、あまりに自然なので、”エフォートレス”に見え、そこがまた更に素敵〜❤️と思ってしまうのだ。

というわけで、パリでは”理想の女性像”を見出すことができ、後の人生における生き方の指針が何となく見えて来て、何とも貴重な経験となったわけであります。

これからは、日本という地で、パリジェンヌのようにバランス感覚に優れ、”女性らしさ”を謳歌した生き方を全うできたらな❤️と思う!

それが今、これからのママンの課題(笑)!

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