「私の人生」ー自分の人生の主人公になる

私は昔から世界に対する憧れが強かった。

様々な地球の表情を見てみたいし、地球の反対側で生きる人々を見てみたかった。

どんな服を着て、どんな家に住んで、どんな生活をしているのか。どんなことを考えながら暮らしているのか。

特にこの国に行きたい!という特別贔屓な国があるわけではなく、とにかく“違う”ものは何でも見てみたかった。

という感じだったので、小学生の頃は「お医者さんになりたい」という強い夢を長らく持っていたけれど、その後は特に職業的な夢やプランはあまりなく、とにかく世界旅行がしたい、世界に友達が欲しい、という気持ちだけが強くあった。

なので、中学生の頃から、英語を話す、というのは、「私の人生」を送るには必要不可欠と認識され、英語以外にも数か国語話せるようになろう!なんてずっと思っていた。

始めてプチ留学をしたのは高校2年生の夏休み。

カナダのバンクーバーで語学学校に通いながらホームステイをした。

あまりにカナダが気に入ってしまい、高校卒業後はカナダの大学に行く、と決め、帰国後は更に英語の勉強に情熱を注ぎ、英語圏への大学進学を斡旋している学習塾に通った。

周りの友達やクラスメートがセンター試験を始めとする受験勉強に励んでいた頃、私は英語の勉強と内申点を稼ぐために学校の勉強をひたすら頑張っていた(カナダの大学入学審査はTOEFLのスコアと内申点だった)。

“本当に大丈夫なの?”、“大学受験から逃げているんじゃないの?”と言われたこともある。大学に入ってから留学すればいいじゃん。といったアドバイスをいただいたりもしていた。

けれども、私の中では、今ここで行っておかないと、「私の人生」じゃないって強く感じていた。

確かに大変かもしれないし、人と違うことをすることの恐怖心は無きにしも非ず、ではあった。。けれども、どんなに辛かったとしても、“英語”という私が必要としていたスキルと、“海外での生活を見る”、そして“海外で生活をし、友達を作る”という、私が必要としていた“経験”と“財産”を得ることができるのであれば、少なくともマイナスにはならず、むしろプラスじゃん!と思っていた。

しかも、まあ友達さえできれば、どうにか楽しくやっていけるだろうな。どうにかなるだろう!という楽観視は常にあったのだ。

こうして高校卒業後、カナダの大学に行った。

カナダに留学中に、ホームステイ先の子の小学校へ、日本や日本文化について教える授業を数回していくうちに、“学校の教師になりたい!”と強く思うようになり、その後日本の大学へ行き、教育学を学び教職を取得した。

大学在学中は、当時付き合っていた彼が留学していたパリに遊びに行ったのをきっかけにパリに恋に落ち、フランス語の勉強を始め、フラメンコサークルに入っていたこともあり、スペイン語も勉強した。

パリに行ってからというもの、今度は私の夢の矛先が“フランス”に変わった。たくさんのフランス映画を観、狂ったようにフランス語の勉強をし、いつの日かパリで生活することを夢見ながら学生生活を過ごした。

大学3年生後期になり、周りのみんなが就職活動を始めてからも、一人夢見る少女を続け、教員採用試験を受けることもなく、就職活動をすることもなく、欧州へ渡ることを決めた。

とは言えそんな決断に不安でもあり相談した私に、ゼミの先生が、「とにかく死んでも死にきれないことをまず最初にやったらいい」とおっしゃってくれたこと、また、インターナショナルスクールを作る、という夢・計画に向かって動いていた教授と仲良くさせてもらっていたこともあり、欧州で数年生活して帰国しても、おそらく就職先には困らないだろう!との全く根拠のない楽観視に勝手に後押しされ(笑)、フランス渡航計画を実行したのだった。

その時も、今ここで就職してしまったら、「私の人生」じゃない!と強く感じていたのだ。

変に責任感が強いところもあり、もし一度就職してしまったら、おそらく“辞める”となったときに尋常ではないストレスを感じることが予想できた。しかも、どちらにしろいつかはフランスに行って語学を勉強し、生活をしてみたかったので、数年後には退職することをわかっての就職、という事態に、自分の中で忠実ではないような気がして、納得できず、不快だったのだ。しかも、“どうせもうすぐ辞めるから”となると、その時点で仕事に対する情熱や集中力が全開とはならないのは目に見えている。

私は常に正直でありたい、と思っていた。

後悔は絶対にしたくない、と思っていた。

本当の気持ちを殺して、“王道”を行く方が、私にとっては怖かったのだ。

「私の人生」を送らないことの方が私にとっては“自分”を殺してしまいかねないリスキーな選択だったのだ。

そういえば、今思い返してみると、“ママンは自由だよね~”と若い頃はよく言われていた気がする。確かに、社会の枠組みや“常識”という意味で考えると“自由”だったのかもしれない。

でも私の中では単に「私の人生」を歩みたかっただけ。

その時、その時で精一杯自分がありたい人生をできるだけ謳歌し、勉強し、夢を抱き、進んで来ただけ。

5年後は一体どこで何をしているだろうか。と想像しながら、今その時、できることを、今その時必要なことを精一杯やってきた。

ある意味、“夢”を第一に歩んで来たので、職業的には一貫性はない。職の選択肢の少ない欧州での就職だったこともあり、その時採用してくださった会社で有難く働かせていただいたのだ。旅行会社から始まり、人材紹介会社、そして投資銀行と、全く違う業界ではあるけれど、それぞれ貴重な出会いと経験をさせていただいた。

かつての夢だった学校の教師は、今の時点ではどこかに消えてしまっているけれど(夢とは何ともはかないものである(笑))、人間は様々な人生経験を通して、成長し自分というものを築き上げて行く過程で、好みや価値観、思想、夢も時間とともに変わっていくのが普通なのかもしれない、とも思う。

どんな経験も必ず意味があり、学びを与えてくれる。

経験を通して、様々な出会いや色々な気づきがあり、その出会いや気づきが次なるステージへ導いてくれたり、ある人生の時点で、過去の出会いや経験がぱっと表舞台に出て来て、点と点が線につながった瞬間を感じることもある。

そうやって日々の選択そして体験を積み重ねて人生は築き上げられていくのだ。

「私の人生」の軸は、“世界”とつながる、ということであり、それに関しては今でも変わらず一貫している。

これからの「私の人生」について考えてみると、やっぱり、地球のまだ知らぬ表情を見たい。世界を見たい。世界の人々とつながりたい。そのためには様々な国を訪れたいし、子供たちにも見せてあげたい。

そして今、「私の人生」で吸収したことを、日本という故郷で還元する時だと感じている。仕事というかたちなのか違ったかたちなのかはわからないけれど、きっと人生のこのタイミングで日本に戻って来れたことには、そういった意味があるんじゃないかと思っている。

人生は一度きり。

もし“生まれ変わったらどんな人生を歩みたいか”。とか、“過去に戻れるとしたら、何をしたいか”、とかそんな質問を時々聞くけれど、生まれ変わることもできないし、過去に戻ることもできない。

上記の質問でもし、“こうしたかった”ということがあるなら、今からそれはできないだろうか。そこに近づくために今できることはないか。いや、今からでも遅くない!と思うのだ。

そう、まずは死んでも死にきれないことをする。

もし家族がいたり、諸々の理由があって今は自由に身動きがとれないなら、どうしてもやりたかったことや、やりたいことに少しでも近づくことはできないか考えてみる。

今すぐ動けなくても、いつの日かそのタイミングがやって来たときのために“種まき”をしておくことはできる。

人生は一度きり。

「私の人生」を歩むために必要なことは何か。何をもって「私の人生」と言えるか。そんなことをとことん考えるのに時間を使ってみてもいいかもしれない。

誰でもない、私の人生の主人公は私なのだから。

今日はいつも以上に長くなってしまいました。ママンの人生論に最後までお付き合いくださりどうもありがとうございました♡

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