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ヨガと葛藤

大好きなズンバのレッスンが先月終了してしまった。

というのも、どうやら会場となっていたコミュニティーセンターの改装工事を行うようで、その間数ヶ月の間すべてのアクティビティーが停止、といった具合だ。

停止と言われても、ママンは時々運動しないと体がうずうずするし、運動している最中、そしてその後の快感ぶりを思うと、やっぱり1週間に1回くらいは体を動かしていたいのです。

さて、どうしよう?せっかく毎週楽しみにしていたズンバ。ラテン音楽を聞きながら、リズムに乗って体を動かす度に、色んなことに思いを馳せて、全ての思い出や関わる人々が愛しく思えてくるという不思議な、そして超快感な時間。それが無くなってしまうなんて切なすぎる!

というわけで、別の場所でまたズンバはないかと探していたけれど、家から近くて、時間帯的にも可能なクラスは今のところ見つからず、仕方ないので、前々から少しばかり気になっていた近所のヨガ教室を覗いてみることにした。

実は、ヨガには随分前から興味があった。ただの運動というよりは、メディテーションの要素があったり、精神と肉体の双方に良い作用をするようなイメージであったり、また、何となくヨガって今風で、洗練された印象があったりして、ある意味憧れのアクティビティであったのです。

なので、学生の頃から何回か初級者レッスンを単発でとったことがあった。ところが、やってみるたびに、快適!最高!楽しい!という感覚ではなく、”あ〜苦しい!誰か助けて〜!”といった始末。もう何年もヨガのトライアルクラスに参加していなかったので、この感覚をすっかり忘れていた。と同時に、この苦しみの感覚、鮮明に思い出しました!1時間半の間、まるで拷問を受けているような気分で、とにかく”早く終わってくれ〜!”と心の中で叫び続けていたのである。そしてまた、”待てよ、私、このクラスをとるのにお金払ったよね?どうして私は苦しむためにお金を払っているんだろう?!”というやりきれない感覚に襲われてしまうのです。これはむか〜し、ヨガをトライした時にも感じたし、数年後にこうして改めてトライをし、また全く同じ感覚機能、そして同じ思考回路を巡っている自分がいたのであります。

若かれし頃(子供もいなく自由だった頃)は、こうして色んなアクティビティに挑戦し、結果的に、自分はダンスが好きだし、せっかくお金を払って何かを習うのなら、楽しいことをしたい!と思い、結局ダンスという道を選択していた。ところが、それから約10年も経ち、自分も成長したであろうのに、また、ヨガに関しては変わらず興味はあるのに、やっぱりそこに楽しさを見出せない(将来的にも見出せなさそうな)自分がいる。そんな自分に正直凹む。

ヨガがこれだけ世界中の人々から愛されていることをみると、絶対に体にも心にもいいに決まっているし、私もそんなヨガをマスターしてその恩恵を受けたい気持ちは山々なのです。ところが体がそれを苦しみと認識してしまい、楽しむ、の”た”の字にも至っていないのです。きっとこの苦しみを通り越したら、天国のような快適な世界が待っているんだろうな、と想像はしてみるものの、そこまで至るには相当の覚悟が必要であるように思われるのであります。

ヨガ愛好者の方々、その楽しむコツを教えていただきたいです!

とりあえず今月はトライアルということで40ポンドをすでに払い、クラスは行きたい放題なので、できるだけ違うタイプのヨガ&インストラクターのクラスに参加してみようと心に決めている。何度かクラスに参加しているうちに、いつの日か楽しみが見出せるかもしれない、と、わずかな期待を胸に、もう少しばかり苦しんでみようと思うのであります。

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