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フレンチスクールの学園祭とハーフのあれこれ

昨日はお兄ちんの学校、いわゆる”リセ”の学園祭に行って来た!

今年1月から通い出した学校なので、まだまだ学校文化もあまりわからず、学園祭とは一体どんなものなのか、日本の学校でいう文化祭みたいなものなのだろうか、と興味深々で行って来たのだ。

中学生や高校生が主体となって(リセは幼稚部から高等部まである)、ゲームのスタンドを運営していたり、ボランティアの保護者がちょっとした出店で、ビール、ワイン、マカロン、サンドイッチを売っていたり(この辺りはかなりフレンチテースト!)、また別の出店では、焼き鳥、焼きそばやかき氷があり、ザ・日本のお祭りを演出している。

スタンドを担当する保護者のボランティアは全く強制感がなく、できる人及びやりたい人がやる、できる人がいない時間帯があったら、それはそれで仕方ない、といったのりだ!何ともフレンチ(笑)。

また、特にクラスごとに出し物があるわけでもなく、何だかテキトーに子供達と大人たちが集まって、それぞれドリンク片手に会話を楽しんでいる様子だった。

ゆるい!ゆる〜い!自由でテキトーな感じ。どこまでも集団行動を嫌うフランス人。勝手気ままなフランス人気質が学園祭にも反映されていて何だか面白かった(笑)。

このくらいの方が確かにお互い気楽だし、無理した人付き合いとか必要ないし、ある意味いいのかもしれないけど、何だかそれはそれでちょっと寂しいような気もしないでもない。そして、子供達はチームでやり遂げる!みんなで一つの目標に向かって頑張る!みたいな一致団結感やチームとしての達成感というのは、あまり学ぶ場面がないのかな、という風に見えた。

チームワーク、調和や協力といったことを学ぶにはやはりチームスポーツかもしくはオーケストラに入るなり、敢えて集団で共通のゴールを目指すようなアクティビティーを選んでやらないと、個人主義まっしぐらになりそうな気がして来た!

と、学園祭を”楽しみ”ながらそんなことを考えたママン。

ランチは噂の学食で(給食は主にフランス料理なのだけど、これがまたかなり美味とのこと!)、クスクスをいただきました。デザートはこれまた噂の極上”ムース・オ・ショコラ”!確かに全て美味しかったー。クスクスなんてパリ在住時代はよく食べに行ったものだけど、ロンドンへ行き、東京へ来たら、クスクスが益々日々の生活から遠ざかってしまったのだ。なので、久々のクスクスにママン一家大満足❤️

さて、こうしてクスクスにご満悦なところ、おっとどこかで見覚えのあるお顔が。。。

”そうだ!大学時代のイギリス人の英語の先生ではないか!そうそう、気難しい頑固爺さんと陰ながら呼ばれていた、あの先生”!

しかも、実は先生、ママンが学生の頃にフランス人の奥さんと結婚をし、そのウェディングパーティーの受付をママンとお友達とで担当したのだった。確かに頑固爺さんなんだけれども、どこか愛してやまないところもあったのだ。

(写真は幼稚部の壁)

こんな懐かしいお方と偶然に息子の学校で再会だなんて、声をかけるっきゃない!と、ドギマギしながらも、声をかけてみた。

彼も何とママンのことを思い出してくれた!!と、ここで懐かしの再会が始まったのだった。

どうやら中学生の息子さんがリセに通っているとのこと。

お互いその後何をしていたのか、今何をしているのか、といった話をさらっとし、夫婦同士で記念写真をとり、15年以上ぶりの感動の再会を喜んだのでした。

こんなこともあるんだね!

とは言え、自分が式の受付を担当した新郎新婦が今でもこうしてラブラブでいてくれることは、何とも心温まるものがある❤️

さて、そんなフレンチスクールですが、なかなか特殊で面白い。

クラスのおそらく3分の1から半数近くが日仏のハーフ。なので、いわゆる日仏バイリンガルの子が多くいる。

お兄ちんに、お友達とは何語で話すの?と聞いたところ、日仏ハーフの子は、そのハーフの度合いによって日本語になったりフランス語になったりするらしい。要は、ハーフにも例えば、日70%、仏30%、とか、日20%、仏80%、のようにグラデーションがあるらしい。なので、その割合が51%以上の言葉で、ほとんどの場合は話しているのだとか。

Aくんとは、フランス語、Bくんはとは日本語、と教えてくれたので、じゃあ、お兄ちんはみんなからどちらだと思われてるの?と聞いてみた。

そしたら、I am not Japanese, I am not French, I am rather English! だと。

日本に越して来てから7ヶ月。彼の頭は未だに英語が優位、というかイギリスの要素が彼の中には一番強いみたいだ。

何だか特殊な環境だと改めて感じる。でもだからこそ、見ている分には面白かったりもする。どんな環境であっても、きっと将来、その環境だったこらこそ活かせる何かが必ずあると思う。それを強みにして、将来、社会のために、そして自分のために生きていってくれたらいいなあ、と思ったのでした。

 

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