サイトアイコン ロンドンの色・パリの味

王道ではない道に進むこと、自分の人生をデザインすること

あっという間に師走も10日が駆け抜けていきました。

2020年という、何とも変化球な一年。

コロナに感染して苦しんだ方、身近な命を失くされた方、医療関係に従事する方や飲食業や旅行業を営み人一倍苦労して来た方、新卒なのに普通の社会人生活を送れずにいる若者、キャンパスライフを奪われてしまった学生たち、突然学校に通えなくなってしまった子供たち…。

本当に一体この一年は何だったんだろうか?と思う。

神様が地球人みんなに与えた試練なのか。

単に、地球を搾取し過ぎだ!と自然界が怒りを噴出させたのか。

それともこうした感染症の流行は自然の摂理なのか。

一点、不幸中の幸いとでもいうのか、まだ良かった!と思える点は、これが地球全体の問題であったこと。一国やある地域限定の話ではなく、グローバルに、全ての国や人々が関わる、全ての人がある種の”当事者”であったこと。

なので、程度の差こそあれ、誰もが影響を受け、誰もが終息を求め、地球全体で解決策を見出そうと必死で、誰もが、一旦すべてをストップし、生活が一変し、現状について自分について振り返る時間が多少なりともできた。

きっと、コロナ禍を機に、人生や家族、仕事に対する価値観が変わった人も多くいるのではと思う。

ライフスタイルを変えた人や生活する土地を変えた人もいるのではと思う。

どんなにワクチン接種が始まったとしても、おそらく後半年は、コロナ禍が続くと言われている。

となるとやはり、コロナの与えるインパクトはあまりにも大きい。

特に、本来なら自由を享受できるはずである若者に心底同情する。

自分が大学生や新米社会人の頃を思い浮かべると、”自由”という言葉しか思い出せないと言っても過言ではないほど、やりたいこと全てに情熱を注ぎ満喫していた。そして、そんな私を止められるものは何もなかった。

カフェでバイトをしたり、フラメンコサークルで練習に励んだり、友達と行きつけのカフェでベラベラおしゃべりしたり、時にはクラブで踊りまくったり、彼とデートしたり、貧乏旅行で世界を旅したり。。。

若さという、エネルギーがムンムン満ち溢れる年代だからことできること。若いからこそふんだんに行使できる”自由”という権利。

もしコロナ禍が20年前に起こっていたら、私の人生はどうなっていただろうか?と思う。外に発散できていた溢れんばかりのエネルギーはどこに向かっていたのだろうか。

友達に会うことが楽しくて満喫していたキャンパスライフ。それなのに、キャンパスにすら行けないとなると、どうやって友達を作るのだろうか。

想像するだけでも、あまりに孤独で、あまりに不自由で心が痛む。

どうか、どうかいち早く事態が終息して、若者たちに元気と自由を取り戻してもらいたいと切に願う。

やっぱり、子供たちや若者が元気な国は、国全体として元気で、未来は明るいと感じる。

さて、今日はこんな風に自分が大学生くらいの頃を思い出したので、自分が進んで来た道を振り返って感じたことと若者たちへの励ましの言葉を書いてみようと思う(若者の読者さんがどれほどいるかわかりませんが笑)。

私は、王道の人生を歩んでいない。

高校卒業後、カナダの大学に2年間留学し、その後日本の大学に入り、卒業後はフランスに渡り、仕事と夫を見つけ、8年パリで暮らし、その後3年ロンドンで暮らし、そして2016年秋に家族で日本に移住(帰国)したという経緯。

パリでワーママをしながらビジネススクールに通い修士号を取得。次男を出産し、夫の仕事でロンドンに越し、仕事を見つけ。。。

という略歴。

明らかに”王道”からは外れている。

選択の度に、心は決まっていても、さすがにぶれることもあったし、不安になることもあったし、自分の選択に100%の自信が持てなくなる時もあった。

けれども“後悔するのでは?”という発想は一度もなかった。

むしろ、心は決まっていても、それを選択しなかったら絶対に後悔するだろうな、という確信はあった。

なので、単純に、絶対に後悔しないであろう道を選んで来た。

確かに、王道とされていない道を歩むと、王道よりも茨の道になる可能性が高い。

けれどもその分、刺激や喜びは数倍に跳ね上がるのではと思う。まさに、ハイリスク、ハイリターン。

王道に進めば、確かに王道な人生は歩めると思う。

誰もが認めるフツーに幸せな人生。

けれども本当にそれがあらゆる人にとって幸せなのかはわからない。

”普通”以上の何かを求めるのであれば、”普通”以上、もしくは”普通”、王道でない何かを選択し、やらないと”普通”以外の結果にはならない。

私は、今思えば、カナダに留学していた時は、人一倍勉強していた。友達がみんな、まさにキャンパスライフを楽しんでる時には、自分は一人孤独にカナダという人里離れた場所で図書館に籠って勉強していた。

パリでは、専業主婦生活を満喫している友人たちの傍ら、子育て仕事をしながらビジネススクールに通い、次から次へと出される大量の課題に押しつぶされそうになりながら勉強していた。

こうして思い出してみると、どこまで自分はMなんだと思わざるを得ないけど、まあ、よくも頑張ったわと、当時の自分を褒めてやりたいと思う(もう二度とやりたくないけど)。

当時の苦労が、今どのように私の生活に貢献してくれているかわからないけれど、確実にある程度は仕事の役に立っているし、最後まであきらめずにやれば、どうにかできるもので、割と始めは苦しいと思えることでもやっているうちに好きになることもあるんだなーという感覚はある。

なので、やはり決して、当時の苦労は無駄にはなっていない。

どこかで確実に私の糧となっているはずだ。

となるとやっぱり、人生どこかの時点で、何かに人一倍努力して、人一倍苦労する経験も必要であると感じる。

その時は大変でも、その分、人生が味わい深いものとなり、きっと人としても器が大きくなり、味わいが増すのではと思う。

だから、色々悩める若者たちには、是非、心に正直になって選択して欲しいと思う。

少なくとも後悔に生きることはなくなるし、潔く、心満たされた状態で生きることができるようになると思うから。

ただ、自由には責任が付きまとう。そこは忘れてはならない。責任を果たすために人一倍努力をしたり、苦労することは自由と背中合わせだから。けれどもそれも、「自分」というオリジナルの色が美しく発揮された人生を歩むためには通らざるを得ない道なんじゃないかと思う。

自分の人生の主になり、自分の人生をデザインするためには!

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