社会の常識ではなく、自分の常識を生きる

シルバーウィークも終わり、また日常が足早に戻って来ました。

昨夜のシトシト雨と共に、一気に空気が冷たくなったことを感じます。

そのお蔭なのか、我が家では今朝はぼくちんたち二人とも朝寝坊。

空気が涼しくて気持ち良かったからか、7時になっても起きて来る気配がなく、ぐっすり眠っていました(笑)。

確かに気持ちいい!この秋の空気~!

何ともフレッシュ💛

このくらい涼しい方が、頭も冴えるような気がしています。

さて、連休は皆様、いかが過ごされたでしょうか。

コロナ疲れもしくは、長期に渡る自粛の反動か、この連休はどこもすごい人混みだったとニュースで見ました。

我が家は、元々友人家族とキャンプに行く予定をしていたのですが、あいにくの雨予報のためあえなくキャンセル。

ラストミニッツで、千葉県にある田舎の家に、両親、兄弟家族と行くことにしました。

この田舎の家は、ママンの育ち故郷。

もう誰も住んでいないので、こうして時々家族が週末や連休に、”田舎の家”として使っています。

これがまた和むんだ~。

”田舎の家”に入る度に、思い出される楽しかった子供時代。

中高時代の友人たちや部活の日々、当時の恋愛模様が鮮明に思い出される場所でもあります。

特に、あの田園風景とともに、初めて付き合った彼との日々のエピソードが、ポツン、ポツンと頭の中を走馬灯のように駆け巡りました。

当時、まだまだ未熟な少女であった私を、狂ったように愛し、大切にしてくれた彼。

尽きることのない深く楽しい会話。

彼との数年間の付き合いで、人としてとても成長させてもらいました。

底なしの感謝と深い人間愛しか残っていません。

どうか、今、地球のどこかで幸せに暮らしていますように。

田園風景の中にある露天風呂に浸かり、鈴虫の音を聴きながら、ほてった体を覚ましてくれるそよ風を感じつつ、20年ほど前の自分にタイムスリップしたような感覚にすっかり浸ってしまいました。

とても暖かな気持ちに包まれていました。

さて、そんなかつての自分を思い出しながら、改めて感じたこと。

私は昔から、社会の常識ではなく、自分の常識に従って生きて来ていたのだということ。

多分、どこか反抗的で革命を求める自分がいたんだろうな、と今では思う。

社会が敷いた道、王道と呼ばれる道には行きたくない。

自分の道は自分で切り開きたい。

そんな頑固な自分がいた。

いや、もしかしたら単に、社会の示す王道やそのライフスタイルに興味が持てず、むしろ、”世界”を開拓することに尋常ではない興味を示していて、その二つがどうしても相容れない、というだけだったのかもしれない。

当時から強く感じていたのは、自分は世界が見たいから、それをしないと一生後悔する。後悔の気持ちに押しつぶされながら生きるのだけは絶対にできない、と。

Happyな気持ちに満ちて生きていたい、となると、結局は、私に選択肢はなかったのだ。

自分がどうしてもやりたいことをまずはやる。

世界のどこに行こうが、友達さえできれば自分はそれなりに楽しくハッピーな日々を過ごせるという、根拠のない自信はなぜかあった。

なので、私にとっては”世界に出る”選択(自分の素直な気持ちに従う)をする方が、王道を行くという、自分の本心を裏切る行為、より怖くなかったというわけだ。

こんな風に、これまでの人生を歩んで来ているので、確かに今思えば、”後悔”という気持ちはおそらくほとんどないし、人を羨むという気持ちもほとんどないと言っても過言ではないと思う。

もちろん、時として、”あ~いいな~、羨ましいな~”と人を見て思うことはある。けれども、それは例えば、誰かが私が行ってみたいと思っている国に行った、とか、めちゃめちゃ美味しそうなものを食べた、とか、すごい面白そうな経験をした、とか、そんなちょっとしたエピソード自体に羨ましいと思うわけで、ある特定の人や物事に対して嫉妬に狂うようなことは記憶にないと思っている。

確かに、社会の基準で生きている方が、おそらく気楽だし、苦労は少ないかもしれない。

”王道”と呼ばれているような道を進んでいれば、本人を始め、誰もが安心だし、誰からも非難されることもなく、誰からも認めてもらえる。

王道から外れた道を歩んでいると、本人も周りもハラハラドキドキだし、常に“本当にこれでいいのか?”と自問自答し、正しい選択であったことを他人にそして自分自身に証明し続けなければならない。

”失敗”(何をもって失敗とするのかは、世間と本人のそれぞれの定義による)の兆しが見えると、ここぞとばかりに周りは、”ほらみろ!”と言ってみたくなるし、本人も、”やっぱり王道に行くべきだったか”、と、自身の選択を疑ってかかる。

ただ、自分の基準・常識に従って動いた場合、おそらく後悔をする人はあまりいないのでは、と思う。

結果として例え”失敗”になったとしても、その貴重な経験があったからこその次だと考えるので、それは本人にとっては全く後悔とはならず、人生の貴重な学び、次のステップへの確固たる道となるわけだ。

それでもひと昔前は、王道を外れるのにはそれなりの勇気が必要だった。

けれども、今は、ダイバーシティーの時代だ。

昭和の”一斉”であるべき、足並みを揃えるべき、という発想からは益々遠ざかり、何でもありな自由な時代になって来ている。

そしたら、益々、自分の人生は自分の常識に沿って、自分でクリエイトすることができるようになっているはずだ。

いい時代だ~💛

とは言え、気をつけたいのが、”何でもあり!”の中にも、一社会人としての常識はわきまえるべきであり、一社会人として、責任のある大人としての自由な選択、そこの微妙なバランスを保っていくことが大切なんじゃないかと思っています。

そんな夢を追う頑固少女も今ではアラフォー。

変わらず自由を愛しながらも、すっかり落ち着いてしまったからか、これまで”自由”に寄り道しながら学んで来た人生経験を、一人の社会人として、自分の生まれ育った国に還元できたらな~と思いながら、今では比較的いわゆる”王道”に入り生きているように思います。

どれほど多くの若者の読者さんがいるかわかりませんが、若者の皆様には是非、自分の道を進んで欲しいな~、そしてその経験を是非シェアして欲しいな~なんて思っています。

これからも是非、寄り道から得たエッセンスの詰まった「ロンドンの色・パリの味」をよろしくお願い致します💛


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA