美しい言葉の力に泣いた週末

2021年もあっという間に半年が経とうとしている。

5月もあっという間に幕を閉じ、もう6月がすぐそこまで来ている。

既に梅雨入りをしているのでは?というような天気が続いているので、感覚的にはすでに6月であるような気もするけれど、やっぱりこの時の流れに体と頭が置き去りにされているように感じる。

いや体は気づかぬうちに、きちんと時を刻んでいるので(涙)、やっぱり置き去りにされているのは“頭”と”心”だけなのかもしれない。

頭と心も、しっかりと時の流れを咀嚼し、味わいつくし、そして着実に吸収できるように、時に立ち止まり、静かに自分と、そして自分の声と向き合う必要があると改めて感じる今日この頃。

そういう意味で、週末という時間はありがたい。

平日の仕事とは全くかけ離れた一日のリズム、体の使い方、そして脳の使い方をするので、こうして上手く特急で走り抜ける平日の自分とのバランスをとっている気がするのだ。

週末は、掃除をしたり、アイロンがけしたり、ゆっくり時間をかけて料理をしたり、スイーツを作ってみたり、サイクリングやジョギングをしたり、子供たちと遊んだり、映画を観たり、公園でのんびりしたり、読書をしたり、、、と割とのんびりと過ごしていることが多いので、交感神経が活性化されている平日とは対照的に、副交感神経が優位になっていることを感じている。

やはり週末の方が、感覚が冴えるように感じる。

時間と心に余裕があるからだ。

”自由”に過ごしているいる時間の方が、五感が敏感になったり、感動したり、感情が揺り動かされることが多いからだ。

そんな週末があるからこそ、平日の仕事に100%のエネルギーを注ぐことができる。

だからこそ、やはり全てにおいて、”バランス”というのがいかに大切か、ということを実感する。

静と動、右脳と左脳、緊張と弛緩、オンとオフ、、、。

今週末もそんな風にして、割と静で、右脳が活性化され、”緩んだ”週末を過ごしている。

さて、そんな緩やかな週末。

大きな嬉しいことが二つあった。

一つは、小さなぼくちんからのサプライズギフト。

今日はフランスでは母の日だったようで、フランス学校に通っている息子。

授業の一環で母の日に送る詩(ポエム)を作ろう!というのがあったようで、何とも美しい詩をいただきました。

Ma maman

Tu es gentille comme un chat.

Tu es jolie comme une Geraniume.

Tu es douce comme le coton.

Je t'aime plus que tout.

ママ

ママは猫のように優しい

ママはゼラニウム(花)のように美しい

ママはコットンのように柔らかい。

ぼくは何よりもママを愛している。

そんなポエム。

何だか妙に心に響いてしまい、涙が溢れてしまった(笑)。

高校生の頃、私を好きでいてくれたクラスメイトから、音楽やその素敵な言葉をもらった時、心に大きな炎が灯り、彼と付き合うことを決めた。

大学生の頃、一瞬にして魅かれ合って付き合った彼から、美しい詩をもらい、情熱にさらなる炎が灯った。

大学卒業後、メキシコに短期留学をしていた頃、メキシコ人男子から強烈にアプローチをされていて、美しい言葉が羅列してあったお手紙に心が奪われそうになった。

そして、フランス人である我が夫。

フランス人の割に、ザ・フレンチ的なロマンチックさはそこまでないけれど、シンプルに愛情を伝えてくれる手紙やカードをいくつかもらい、毎回心がジーンと熱くなり、何ともあたたかな気持ちに満たされるのだ。

言葉の力は凄い。

しかも、歌にのせたり、紙に書かれたりする言葉は、単に口で言ってもらえる言葉よりに更に心に刺さる気がするのだ。

とは言え、フランスではこうして子供のうちから、徹底的にポエムを学ぶのを見ていると、そりゃまあロマンチックになるわけだ、と思う。

もしくは言葉を巧みに操れるようになる、というのか(笑)。

いずれにせよ、恥ずかし気にギフトを渡してくれた小さなぼくちん、心底ママは嬉しく幸せだよー💛

本当にありがとう💛

もう一つ。

フランス在住時代に働いていた人材コンサルの会社の社長さん。

今でも時々お互いの近況報告をしている何とも心の優しい社長さん。

最近、仕事を通して、当時の経験がいかに今の自分を創っているか、ということを感じる場面が多くあり、どうしても感謝の気持ちを改めて伝えたくて、メールをした。

当時、まだ社会の仕組みや仕事のこと、ビジネスのことなんて全くの無知で、何のスキルもないただのlittle girlだった私に、たくさんの、通常では考えられないような貴重な機会を与えてくださったのだ。

あらゆるビジネス交流会へ参加させてくれ、何とも刺激的な社交の場に顔を出すことができ、引っ張り上げてくださったのだ。

当時のあの経験がなかったら、私はきっと”ビジネス”というものにそれほど興味を持っていなかっただろうし、おそらく全く違った道を選んでいたと思うのだ。

確かに、小さな会社だったので、報酬と言う意味ではフラストレーションを感じることが日常茶飯事ではあった。けれども当時から、こんな経験ができるのであれば、これに変わる報酬はないと感じていたのも確か。

まさにその通りだった。

短期的視野で見ると、フラストレーションが勝ってしまうけれど、長期的な視野でみたらこれほど長い人生においてインパクトのある、経験値になることはない。

そんなことを改めて感じたので、メールにて感謝の気持ちを伝えたところ、“なぜかって、あなたには大きなポテンシャルを感じていたからだよ。本当はもっともっと色々なことをさせてあげたかったけれど、会社が小さかったがために自分が与えたかった機会のうちの一部しか与えられなかったことは今でも悔しいけれど、こうして羽ばたいているあなたを見られるのは心から喜ばしいことだよ”。といった返信をいただいたのだ。

嬉し過ぎて涙が溢れた。

何かちょっととたことがあると、すぐに自分が小さく見えてしまったり、自信を無くしてしまったりする。

けれどもこうして自分を認めてくれたり、愛してくれる人がいる、側にいてくれる、遠くから応援してくれる人がいる、それだけでなんて幸せだろうか!

何て有難いことだろうか!

と温かな涙が割と激しく流れたのであった。

そんな心が動かされた今週末。

久々に喜びの涙を流したのであった。

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