最後にMBA体験(3歳児母、MBAに挑戦ーニューヨークに留学する)につてい書いてから、随分時間がたってしまいましたが、まだ未完だったので、今日は続きを!
というわけで、1年目の最後の山場であるニューヨークキャンパスでの3週間が無事終了したわけですが、もうこの時点でママンの中では、ほぼ、戦いは終わった感がありました。
2年目は基本的には論文と、残り1、2個の科目を取得するのみ。
ということは、1年目のように2週間毎にある、朝から晩までの3日間の授業、そしてそのインターバルに行う5千字のレポートの課題に日々追われることがなくなるのだ!
こんな開放感ったらない!
1年目の過密なスケジュールにに追われていた頃、特にこのスパルタなリズムに圧倒されていた頃は、カフェでくつろいでいたり、楽しそうにモールや映画館に行っている人たち(普通の人!)を見て羨ましく思っていたほどだったので(自分にはそんな時間も心の余裕もないと思っていた涙)、1年かけてゆっくり論文に取り組める、授業や課題に追われない、というのは天国にいるかのような気分だったのだ。
と、そんな風に気がゆる〜んで2年目を迎えたわけですが、徐々にクラスメートたちも自国へ帰国し始め、何となく虚無感。何だかさみしい2年目でもありました。
どんなに忙しくても、日々取り組む課題があること、一緒に頑張っていける仲間がいることがいかに大切かを思い知らされた日々でもありました。
やはり一人で孤独に戦うことは辛い!!
とそんなことを感じながらも、修士論文のトピックもおおよそ決まり、そうこうしているうちに、待望の二人目の妊娠が発覚し、論文に追われる妊娠生活が始まりました。
また、日数は変わらず減らしてもらっていましたが、仕事は仕事で継続していました。
MBAを始めるにあたって仕事を辞めることは覚悟だったのですが、器の広い社長さんに、辞めないでほしい、いや、ママンにとっても絶対にやめない方がよい!と説得してくださり、細々と続けることになったのでした。
実際に、仕事は辞めないで正解でした。
もちろん時間的には、仕事がない方がその分勉学に時間を費やすことが出来てよかったのかもしれないけれど、ママンとしては実は仕事がよい気分転換になっていたのでした。
小さな会社だったからこんな風にフレキシブルに対応してもらうことが可能だったわけだけど、毎回会社に行く度によいエネルギーを補充できるような、同時にオアシスであるような感覚でした。
なので、逆説的ではあるかもしれないけれど、かえって勉学にも集中することができたような、そんな風でした。
さて、やっと本題なわけですが、で、MBAやってどうなの?という質問について。
まずはおそらく一番気になるROI (Return On Investment)、投資に対するリターンについて。
これはもう、その人のおかれた状況、始めた年齢、経験値、何を目的に始めたか、によって全く違ってくるのではないかと感じています。
ママンの場合は、現在、3割型主婦、7割型フリーのビジネスコンサルタント的なことをしているので、金銭面で投資に対するリターンを得たかと言われると、残念ながら今のところ、Noとなる(この先、Yesになることを期待している(笑)!)。
けれども修士論文を書いている最中にロンドンへ引っ越し、その後論文を提出してから、即、就職活動を始め、割とすぐに金融業界での仕事が決まった(金融業界はその時点で初めて)のは、おそらく履歴書にMBAとあったからなのではないかと勘ぐっている。
履歴書にMBAとあると、まず書類選考の段階で一目置かれる、というのはあると思う。ただ、書類選考で通った後は、MBAというのは実はあまり関係はなく、面接での印象が採用の決め手となる。
サラリーに関しては、通常、そのポジションに関して会社側でおおよその予算幅が決まっているので、その中で、高めの金額を提示してもらえる可能性は高いかもしれない。けれども、その後は、もちろん本人のやる気、スキル、それから経験値がものをいうので、どんなにMBAという資格を保持していたとしても、経験値がなければ、給与にはそれほど反映されないのが現実であるように見える。
クラスメートたちは、というと、多くはビッグ4と呼ばれる会計及びコンサル会社に就職している。もしくは、もともといた業界内もしくは職種で、よりシニアなポジションや多くの報酬を求めて転職したりしていた。
となると、結論として、少なからず何らかの金銭面でのリターンはあると考えられる。けれども、投資額以上のリターンがあるか、というのはかなり長期的な視点で見る必要がある(通常は会社を辞めて、1年もしくは2年間勉学に費やすことになるので、その間の収入のない時期を換算すると、結構な金額のロスとなる)のではないかと思う。
それから、リターンと言えば、ネットワック!
学校自体のネットワーク(同窓会)等が強ければ強いほど、リターンを享受できる(同窓会経由で良い就職先が決まったり、一緒にビジネスを始めたり等)可能性も高くなるのではと思う。逆に、ネットワークがそれほど強くないのであれば、そこから得られるリターンはあまり期待できない。
さて、ではMBAをやって良かったか?
正直、もう二度とあんなに勉強はしたくないし、論文も書きたくない(笑)。
けれども、やって良かったとは思っている。
まずは、当時とても恋しかった”グローバル”な環境に身を置けたこと。
これは、学生や教師陣の国籍が非常にバラエティーに富んでいたこと、また、全ての授業が英語であったこと、それからニューヨークという都市で短いながらも滞在でき学ぶことができたこと(授業は基本パリ。1年目の修了間際に3週間NYでの講義が必須となっている)が挙げられる。
当時、”日仏”という環境にいたママンにとって、このグローバルな環境は非常に刺激的で、世界がぐっと広がった気がしてとてもエキサイティングであった。まさにママンが求めていたことが得られた!
そして、もちろんそんなグローバルな愉快な仲間たち(クラスメート!)ができたことも、やはり人生の大きな財産かなと思っている。
ロンドンにいたときには、誰かクラスメートがロンドンに来ることがあったら、必ず声をかけてくれ、家に遊びに来てくれたり、一杯飲みに行ったりしていた。
東京には残念ながらまだ誰も来ていないけれど、そんな機会があったら必ず声をかけてくれると信じている(笑)。
それから、やはり”ビジネス”という思考回路を身につけたことも大きいのではないかと感じている。
商売とはこのように成り立っていて、会社とは社会の中でこのように機能していて、どのようにステークホルダーと関わり合って成り立っているのか、といった全体像がイメージできるようになった。
また、授業自体が大変興味深く、様々なケーススタディーを通して、世に名だたるあらゆる会社の歴史や戦略などを学ぶことができ、とても刺激的であった。
良かった点といったらそういう感じだろうか。
後はもうとにかく”達成感”。それのみ!と思えてくるほど、ママンにとって、”戦い”感は強かった。日々の生活を守りながらも、後から後から降ってくる課題をこなしていくという大きな挑戦。
日本という環境で育ったママンが、”グローバル”という海に飛び出し、日々押し寄せる様々な波を乗り越え島にようやく到着した!といった達成感。
それこそ始めたばかりの数ヶ月は、絶対に修了することは出来ない、と思っていたし、いつのタイミングで辞めるか、と、そんなことばかりを考えていた。
”辞めたって、母としてやっているんだから仕方ないよね。元々無理な挑戦だったんだ”って自分に言い聞かせて、辞めることを正当化し、自分を説得しようとしていた。
なので、ママンの中では修了できたことがある意味奇跡的であったし、それどころか、とても良い成績で修了することが出来たのだ!
約10ヶ月の時間をかけ、およそ100ページの論文を書き終えた時の開放感は忘れられない。それこそ、背中に羽が生えてきて、空を飛んでしまえるんじゃないかって思えるような、そんな気分だった。そういえばちょうどその頃、歩いていたら突然体がフワッと浮いて、空中を散歩した夢を見た(当時感じていた”開放感”と関連しているのかは不明)。
ちなみに、論文を書き始めて4ヶ月目に出産をし、小さなぼくちんが6ヶ月になった頃に論文を提出している。
論文提出が修了し、その数ヶ月後に修了証書が送られてくるのだけど、修了証書を手にした瞬間、感無量で、大粒の涙がボロボロと流れた。
それくらい、ママンにとっては、途中から、MBAを終わらせることが執念に変わっていたのだ。
というわけで、この何か苦しいことを乗り越えて達成する、という経験。それはおそらくママンの人生の中ではとても大きな意味のあることだったのかな、と思う。むしろ金銭面でのリターンよりも、”達成する”という経験自体が、大きな大きな財産であるように感じる。
長すぎる投稿となってしまいました!すみません。
これでMBAに関してはおしまいです。これから、MBAを検討されている方がいらっしゃいましたら、是非、自分を追い込まずに、仲間を作って楽しんで取り組んでくださいね❤️