ウクライナの日々

ウクライナに来ています。

今日で4日目ですが、毎日濃い霧に包まれていて、お日様が恋しい今日この頃。

予想していたほどには寒くなく(気温は日中でおよそ2,3度です)、ほっとしてはいますが、それでもこの気温の中、5分、10分と外にいると芯から冷えてきます。

日中はほぼ一日中ミーティングなのであまり観光をする時間はありませんが、少しばかり今朝時間が取れたので街の散策に行ってきました。

ソビエト連邦時代の建造物と西洋の建築物の入り混じったミステリアスな物々しさを感じさせる街並み。

厳しい気候、かつての共産主義政権による支配、貧困、殺戮、紛争、、、と、街を散策しながら、至るところから過酷な暗い歴史の痕跡が感じられ、背筋がぞっとするような冷たく重たい感覚に包まれました。

そんな歴史を背負い、厳しい環境の元暮らしているからなのか、街ゆく人々はにこりともせず、険しい顔つきをしている人が多いような印象を受けます。

とは言え、やはり歴史的建造物は荘厳かつ優美で、ともすると寂し気な街に光を灯している風にも見えます。

と、街全体の雰囲気はそんな様子なのですが、会社の方々は何ともポジティブな雰囲気!

特に担当者の女性とは初めてお会いしたにもかかわらず(メールのやり取りはかなりしていましたが)、妙にしっくりくる何かがありとても心地良く仕事を進めることができました。

この心地の良さは一体何だろう?と思考を巡らえていたのですが、彼女もフランス留学をし数年間フランスに住んでいたということ、そしてほぼ私と同い歳ということが発覚し、これか~!!と妙に納得。

彼女は英語よりフランス語の方が得意ということだったので、彼女とはフランス語、その他の人たちとは英語でコミュニケーションをとりながら話し合いを進めていきました。

彼女は41歳。ちょうど7歳の頃に”チェルノブイリ”が起こり、11歳の頃にベルリンの壁が崩壊。その2年後にソビエト連邦が崩壊し、それに伴い独立を果たしたウクライナ。

子供時代に激動の歴史を生きた彼女。

仕事の後、夜の街歩きをしながらいろんなライフストーリーを聞かせていただきました。

チェルノブイリが起こった数か月後。ゾーン4に住んでいた彼女は、同ゾーンに住んでいる他の子供たち数十人と共に数か月間キューバへ送りこまれたとか。体内に貯めこまれたであろう放射線量を減らすための国の政策であったようです。

また共産主義政権時代を生きた彼女。

当時はどこのお店へ行っても商品の選択肢はほとんどなく、周りの人と全く同じようなものを持ち、身に着け、食べていた。

ただ当時は大学を出たと同時に全員に国からアパートが支給され、職も与えられ、給与はみなほぼ同額ではあったものの将来に対する不安というものがなく、今でも彼女の両親世代は、かつての共産政権の方が良かったと考えている人が多いとか。

もちろん自由を知っている彼女たちの世代や若い世代はある意味不安定ではあるけれど自由のある今の方がいいと思っているとのこと。

ほとんど同い歳の私たち。

あまりに生きた現実や見て来たものが違うけれど、こうして少しの共通点があるだけで妙に親近感を感じるという不思議。

そんなことを感じた出張の日々でした。

とても濃く長~く感じた一週間。

旅立ち前と後では仕事の面以外でも何かが確実に変わったと感じる”濃い”ビジネストリップとなりました。

今回は真冬の北国だったので、濃い霧に包まれた街しか見られませんでしたが、次回は是非春か夏に来て、”明るく”、”元気”であろう街を見てみたい!と思いました。

最後に、ウクライナの料理、実はとても美味しいことを発見!

おそらく人生でウクライナ料理を食べるのは今回が初めてだったのですが、スープの種類が豊富!!!

かの有名なボルシチは野菜の旨味がたっぷりと溶け込んでいておいしい💛

食事とともにいただいたドリンクも、乾燥リンゴを絞ったジュースや濃厚なクランベリージュースなど、意外と野菜・果物をふんだんに使った料理を食べているんだ!と驚き。

勝手なイメージで、お肉料理が多そう!味が濃そう!なんて思っていましたが、実はなかなかの洗練っぷり!健康的で美味しいお料理ばかり御馳走になりました。

会社の方々、どうもありがとう💛

それから1週間の出張中、家と家族のお世話をしてくれた母と夫に感謝です💛


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