日本の幼児教育と欧州の幼児教育

小さなぼくちん(年中)が通っている幼稚園では、保護者が一人一日、朝から降園時間まで園児たちとクラスで一緒に過ごしたり、先生のお手伝いをしたりすることができる。

 

昨年も一日体験させていただき、約1年後にあたる先日、また改めてやらせていただいた。

一日幼稚園で園児たちと一緒に過ごしていると、子供たちの様子がよく分かるばかりか、幼稚園での日課や活動、教育のやり方など、様々な面を観察することができてとても興味深い。

さて、一日アシスタント先生体験を通して感じたこと。

まず、昨年の4歳児と比較して、5歳児の成長ぶりには驚いた。

確かに自分の息子を見ていても感じるけれど、4歳から5歳の間で、実に様々なことができるようになる。例えば、ひらがなに興味を示し、読めたり書けるようになったり、縄跳び、鉄棒ができるようになる。また、”ぐちゃぐちゃ”を卒業して、きちんと形になった絵が描けるようになる。そして、きちんと座っていることができ、話を聞き、理解し、物事を説明したり、自分の意見をきちんと伝えられるようになる。。。と、挙げればきりがないほど、驚くほどできることが増えるのだ。

昨年の体験では、まだまだ子供たちが半赤ちゃんのような状態で、多少、クラスが動物園的になっている側面を感じ、先生に少しばかり同情の念を抱いたのだ。

それが、今年はむしろ、あまり乱れることもなく、しっかりとしていて、色んなことができている!

これには正直感動した!

マイペースな我が息子も、彼なりにきちんとついていっているではないか!!

 

こうして子供の成長を感じることは大変喜ばしいことなのだけど、同時に、教育方法に関しては、欧州の幼稚園と比較したときに、その”違い”は顕著なものであると感じた。

小さなぼくちんの幼稚園は、一言で言うと、ザ・昭和な幼稚園。ママンが30数年前に通っていたような幼稚園とほぼ変わりない。むしろ懐かしさを感じさせられてちょっぴり和む。

けれども、ママンが大学で少しばかり勉強していた、モンテッソーリやシュタイナーや、いわゆる”自由教育”とは完全に反対の位置にあるような一斉教育なのだ。

幼稚園では朝から午後2時までしっかりプログラムが組まれていて、自由に遊んでいる時間は食後の15分から20分ほどで、それ以外にはあまりない。

体操や音楽、絵本の読み聞かせ、お制作の時間、また3学期に行われるお遊戯会の練習など、とにかく過密なスケジュールを、全員一斉に分刻みにこなしていく。

また、きちんと背筋を伸ばして座ること・立つこと、並ぶことが非常に重視され、姿勢が悪かったり、列から若干ずれていると注意をされる。

すべての”教科”において、目指す姿、場所(正解?!)が決まっていて、いかに正解に近づけていくか、とひたすら訓練をする、といった印象を受けた。

 

幼稚園では、ほめて伸ばすことが方針とされているので、ポジティブな雰囲気の中進められていて、スパルタな体育会系とはかけ離れた楽しいものではあるものの、夫のような西洋人から見ると、時として軍事訓練のようにも見えるようだ(笑)。

とは言え、この外から与え、”正解”の姿を目指して訓練をしていく、といったアプローチは、フランスとイギリスで見てきたアプローチとは随分違うと感じた。

おそらく欧州では、やはり欧州で生まれたモンテッソーリやシュタイナーの影響が大きいからというのもあるかもしれないけれど、もっと個人に焦点が当てられている。

日本のように25人ほどのクラスに先生一人で、ということはなく、もっと少人数制もしくはアシスタントティーチャーなどがいて少なくとも2人体制でクラスが運営されているのでもっと一人一人に目が行きやすいというのもある。

また、例えばイギリスの幼稚園では、キッチン遊びのエリア、お絵描きエリア、パソコンエリア、工作エリアなどがあり、子供たちが、それぞれやりたい活動を選んで行う時間が多くあったように記憶している。

つまり、正解の姿を与えて、それを目指して訓練するのではなく、子供たちが自分で考え、選んで、試行錯誤しながら、自分がやりたいように創ったりする、とというどちらかというと内側からの導き。

上記のような教育方法の場合、先生は、正解を教えるのではなく、子供たちの活動をfacilitate(手助け)するのだ。そこにみんなが目指す”正解”の姿はない。

 

というわけで、”日本人”が育てられるのは、こういった幼児教育からの一斉教育の賜物なんだなー、と改めて自分自身を振り返っても感じたのだ。

日本独特の一斉教育を受けていると、様々な技術を訓練しているので、全てにおいてのレベルは平均的に他国の人たちよりも高いと思う。

イギリスやフランスの子供たちは、こんなに上手にハサミを使えないし、みんなが楽器をできるというのはあり得ないし、縄跳びや鉄棒、跳び箱などの競技は基本的にはできない(あまりやっている様子ではなかった)。

小さなぼくちんも、幼稚園のこうした”教育”のお陰で様々な技術を習得し、ありがたいと思っている。

けれども、同時に、こういった教育を受けて育つと、頭を使って考えたり、自分で判断して選択したり、という機会が少ないので、自動的にしなくなるのでは、と思ってしまった。与えられた課題をそつなくこなす力はつくけれど、判断力やクリエイティビティはやはり育ちにくいのではと感じたのだ。自分も含めてまさに多くの日本人の弱点はそこなのかなと。

もちろんそれ故の美徳も多く、それはまた世界から絶賛されている礼儀正しく規律があり、勤勉な日本人を育ててもいるのだけど。

性格というのは、それぞれ生まれ持った素質や家庭環境が大きく寄与する気がするけれど、行動様式というのは、やはりこうした学校教育を通じて刷り込まれていくんだなーと改めて感じた一日となったのでした。

こうしてイギリス育ちの小さなぼくちんが、日々、”日本人”になっていく姿を見るのは面白い♪