まだまだ記憶が新しいうちに、備忘録として息子が通っていた小学校の実態を少し書いてみようと思う。
まず、ロンドンに引っ越してから驚いたことは、小学校は義務教育なのに、公立学校でも、定員を越してしまうと待機児童になったり、徒歩1時間ほどの学校に配属されたりする、ということ。
引っ越しをしてすぐに登録をしたにも関わらず、お兄ちんは、”空きがないのですぐには入学できません。空きが出次第連絡します”とお断りをされた。しかもこれから小学1年生になるという9月に。
ええええ????
そんなことがあっていいのか?
小学校は義務教育ではないのか?
と信じられず、公園で出会った現地のお母さんたちに事情を話すと、”ああ、ロンドンはそれが普通よ。私の友だちの娘なんて3ヶ月待たされた”、とか”結局1か月待って、徒歩1時間のところしか今は入れない”と言われた、などと言う。
開いた口がふさがらないどこか、だんだんとそんな自分の力ではどうしようもできない現実に怒りを覚えて来た。
しかも、小学校1年生の初日。
日本みたいなきちんとした入学式はないとは言え、人生において一年生の初日なんて何とも大切な一日だと思っていた。
ところがこの始末。
とにかく何度も学校に電話をし、あとは空きがでることを祈るしかない、とのことで、最終的に息子は初日から約10日後に、自宅から一番近い学校に入れた。
どうやらこれはとてもラッキーだったらしい。
とっても嬉しかったのと同時に、ほっとしたけれど、これって、普通に考えたら保障されるべき最低限のことであるはずだ、と思った。。
先進国だと思っていたイギリスでまさかこんな状況に遭遇するとは想像もしていなかった私たち。イギリスに渡ってすぐの大きなカルチャーショックであった。
さて、1年生のときの先生は多分20代後半の、ファッショナブルな黒人女性。
いつもオレンジのマニュキュアをし、舌にピアスをあけていた。とっても明るくて、褒め上手・励まし上手で、生徒からも保護者からもかなり好かれていた。入学したては全く英語のできなかったお兄ちんも、この先生の励ましやら勇気づけ、そして丁寧な指導によりみるみる英語力がついたばかりか、安心して学校に通え、始めから学校が好きになった。先生は、元気のないお友達がいると、いつもPharrell Williams の”Happy”というポップミュージックをかけては子供達の気分を上げていたようだ。何ともクールな先生だった。イギリスの学校はそういったノリだ!
2年生のときの先生は50代付近の神経質そうな白人の地味なおばちゃん。
どうやら数年前に転職して初めて学校の先生になった、と聞いた。かなり怒りっぽいとのうわさで、何だかとてもシリアスな雰囲気漂う人だった。ロンドンでは遠足に保護者も数名引率するのだけど、一度遠足に付いていったときに、クラスのまとまらなさに唖然とした。
子供達は先生の話を聞かなかったり、適当にふらふら歩き回ったり、”ここは動物園か?”と思ってしまったほど。昔から学校の先生になりたい、と思っていたママン、このときばかりは、学校の先生にならなくて本当によかったと心底思ってしまった。わざわざ仕事を休んで引率したものの、体がどっと疲れたのを覚えている。
で、このシリアス先生。どうやらとてもストレスを抱えていたようで、自分の力不足を認め、1学期の途中で退職した。2週間ほど代理の担任の先生がつき、2学期(1月から)からは男の(ゲイ)先生となった。
この先生はそれなりにプロだったようだ。子供達にもそれなりに好かれていた様子。
3年生のときは、際立った特徴もない黒人のベテラン女性の先生。それなりに厳しいけれども、とてもロジカルで、よく子供のことを理解している先生、というイメージだった。それほど好き嫌いのないお兄ちんは、普通に先生のことをリスペクトし、好いていたようだ。
4年生はオーストラリア出身の若くてそれなりにチャーミングな白人女性の先生。1学期が始まり2週間後にはビザの申請のため国に戻る必要があるとのことで、2週間ほど不在だった。その間は代理の男性教師。子供達はやっぱりエネルギッシュな若い先生が好きなようだ。そして暗いイメージだったり、地味だったりするよりは、派手なイメージの先生の方が人気があるように見えた。多分、”派手”目の方が、楽しげに映るのかもしれない、と思う。
とは言え、学期途中にビザ申請だの退職だのって、そんなことで先生が不在になる、といった状況。やはりイギリスの学校は少々カオス的なところがあるなあ、と思ってしまう。
それでも息子もママンたちもイギリスの学校は結構気に入っていた。
何がよいかって、"safe" and "positive" environment(安心できてポジティブな環境)を提供することを第一としているところだ。
続きはまた次回に!
楽しい日曜日を❤️