環境を選ぶーその③パリ脱出計画(笑)

東京もついに梅雨入りしましたね!

今朝は驚くほど激しい雨が降っていて、近所の川の水位が結構な勢いで上がっていました!

週末は、梅雨入り前のラストチャンス!とばかり、今年初のキャンプに行って来ました。

我が家は何とも計画性のない家なので(笑)、例に漏れず、決めたのは数日前。

場所は我が家から比較的アクセスが楽な秩父。

そしてキャンプ場は我が家が2年前にキャンプデビューを果たした、なかなか素敵な雰囲気に包まれたサイト(彩の国)。

結構な山奥だからか、マイナスイオンに満ち溢れた大地や木々の聖なるパワーを感じる場所。

焚火ができるのもまた良し!

やはり、「火を囲むことは人間の本能である」、ということを改めて実感。

パチパチメラメラと燃えるオレンジ色の熱い炎を五感で感じながら、家族や友人たちととめどないおしゃべりをする時間。

何ともヒュッゲで何とも温かく、何とも幸せを感じる時間。

そして不思議と原点に戻ったような感覚。

人間は太古からこのように火を囲んで集落での生活を営んで来た過去があるけれど、もしかしたら私たちに流れている血が、かつての火との関わりを記憶しているのかもしれない、と感じた。

さて、そんな風に今年初のキャンプでリフレッシュして来た私、頭の中を前回のブログ、そして10年前の自分に巻き戻し、続きを書いていこうと思う。

そう、大好きだった、スタイリッシュで芸術的でワクワクするパリという街が、出産を機に、全く違う景色に見えて来たというところから。

私の考える「子育て」という観点からすると、理想とはかけ離れていたことに気が付いたパリという街。

出産を機に、これまで“アウトサイダー”としてのスタンスで楽しんでいた街が、“自分事”になり、その瞬間から“嫌な部分”が日に日に誇張して見え始め、そのうち耐え難いものに感じられて来たのだった。

もしこのままこの国、この街に留まったら、自分が納得する子育てが出来ずフラストレーションが溜まるのでは?

そしたら果たして自分は幸せだろうか?

過度な心配性とネガティブ思考が横行する夫家族の傍で、もろに影響を受けながら育つ子供は、果たして自分の望む姿になるのだろうか(夫家族すみません。みんなのことは大切ですが、ネガティブ発言の多い空気感はやはりあまり好きになれません)。

このままこの異国で、外国人としてのあらゆる不自由を感じながら私は孤独に年老いていくのだろうか。

そんなことを考え始めたら、絶望的な気分になり、“嫌だ、絶対に嫌だ!”

“何としてでもまだ動きやすい若いうちに、一旦、フランスという国を出なければ!”

“少なくとも、長い人生で一定期間は、子供と夫と日本で暮らしたい”

と強烈に感じたのだった。

そのまま居続けたら、私は私を殺してしまう、とまで感じたほど。

元々夫には、結婚する前からいつかは絶対に日本に帰って暮らしたい、とか、第三国で家族として生活してみたい、ということは言い続けていたので、夫もその心づもりはあったのだろう。

子供が3歳くらいになった頃から、少しずつ日本や海外での仕事の機会にアンテナを張るようになり、“パリ脱出計画”が本格的に動き出したのだった(笑)。

私の中で、若いうち(当時は30代になりたての我ら)に一旦フランスから離れ、第3国や日本で数年過ごした後に、フレッシュな気持ちでパリに戻る分には良し!と思っていた。

きっと“やりたかったことを全てやった!”という意味での満足感を得られた状態になっているだろうから。

けれども、日本や我らにとって第三国で家族で暮らした、という私の人生にとっては必須だと考えていた経験なしにそのままフランスに居続ける、ということが怖かったのだ。

さて、こうして“フランスから出る”チャンスにアンテナを張っていた我ら。私が当時勤めていた会社のフランス人社長がかつて経験したという、研修目的で1年間日本で生活(学業&仕事)するという欧州人のエンジニアやビジネスパーソンを対象としたプログラム。

募集条件は色々とあったものの、おそらく通るだろうと言われていた夫。まさかの最終面接で落選してしまったのだ!

期待値があまりに特大だったので、私たちの撃沈ぶりは凄まじかった。

とは言え、きっとこれは私たちにとって、より良い選択肢があるというメッセージだと都合良く解釈し、次なる可能性を求めてリサーチを開始した。

すると直後に、当時夫が勤めていた会社のロンドン支部が事業を拡大していて、人材を募集しているとの情報をキャッチ!

私たちの中で、日本がないなら英語圏の国!というのは共通認識だったので(エンジニアのスキルがあり、英語圏での職務経験があり、英語で仕事ができるというのは、キャリア的にグローバルな舞台で活躍できるチャンスが広がるというのは、ヘッドハンティングや人材紹介の仕事をしていた経験から良くわかっていた)、これは応募してみるしかない!と即、モチベーションレターを作成し、面接の機会にありつけた。

こういう時に驚くのは、全てがすんなりいくのだ。

あーだこーだ迷ったり、時間をかけて吟味したりするときは、割とうまくいかなかったりスムーズでなかったり、頓挫してしまうことが多い。

けれども、直感に従って勢いで動いているときは、どういうわけだか物事が行きたい方向にスムーズに進む。

そう、この時も例に漏れず、驚くほどスムーズにロンドンでのポジションに採用され(同じ会社とは言え、一旦フランスで退職して、イギリスで現地採用というかたち)、ロンドンへの引っ越しが決まったのだ!

今思えば、1年間の日本での研修プログラムに合格しなったのは、やはり運命であったと強く感じる。

私たち家族にとって、ロンドンでの3年半の生活は、その後の人生に多大な良い影響をもたらしたなくてはならない体験となるのだった。

続きます!

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