役割(責任)を降りるということ

暑すぎて、まさに”酷暑”と言える日が続いています。

7月末に、やっと長かった梅雨が終わり、街の雰囲気もパッと明るくなり、夏の到来をみなで喜んでいたのもつかの間。

今となっては毎日ジリジリとさすような太陽光と、スチームルームに入っているかのような湿気。10分も外を歩いていると滝のように流れ出す汗。

日本の夏はこうだとわかってはいるものの、さすがにうんざりし体がばてて来る。

もうここまでの酷暑になると、スペインや南イタリア等と同じように、昼間の時間に外に出ることは現実的ではなくなってくる。

夕方5時過ぎまでシエスタするなり家でゴロゴロし、さあて、そろそろ外に出て夕涼みをするか~!と出てみるものの、まだまだもわっとする空気がお出迎え。

この時期は家や会社に籠ってひたすらクーラーの効く部屋でのんびりするか仕事をするのがいいのかもしれない。

車のない我が家としては、もはや、他の選択肢はない。

不本意ながら自粛生活になっているわけであります(笑)。

まあちょうどいいと言ったらちょうどいいのかもしれません。

皆様、熱中症には十分ご注意くださいね💛

さて、今日は先日、ふと強烈に感じたことをシェアさせてください。

”役割”、”責任”について。

お盆休みの間、少しばかり実家に戻っていたのですが、改めて実家の心地よさと、まだまだ元気な両親が健在していることのありがたさを実感しました。

もちろん両親が健康でいてくれることほど心の平穏が保てることはありません。これについては心から、幸運であり感謝すべきことであると常に感じています。

今回の実家滞在で特に感じたのは、”家の主”としての役割から解放されることがいかに、私の肩の荷を降ろしてくれたかということ。

考えてみるとこんな風に感じたのは初めてでした。

きっとこれまでも実家に滞在するたびに無意識のうちに、”開放感”の心地よさを味わっていたのかもしれないけれど、それほど意識的に感じたことはありませんでした。

今回はおそらくここ数か月、仕事と子供たちの学校のサポート(普段はフレンチスクールに通っているのですが、7月は1か月間地元の小学校に通っていました)に追われた日々を過ごしていたので、特にそのように感じたのかもしれません。

母であること、職業人として、妻であること等あらゆる役割のうち、たった一つの役割である、”家や家事を管理すること”という責任から、実家に滞在している数日間の間逃れることができ、この上ない寛ぎ(リラックスモード)を感じたのでした。

と同時に、”そっか~、家のことをこなす(買い物、洗濯、料理、掃除、ごみ捨て、戸締り等すべて!)ことって、結構なストレスになっていたんだな~”、と。

実家にいけば、私は家の主ではないわけであって、家に纏わるタスクは私の責任ではありません。

お手伝いはもちろんするけれど、お手伝いをしてあげる、といったアシスタントのようなボランティアのようなスタンス。なので、そこに責任は問われません。

そんなスタンスにこの上ない快楽を感じてしまったのでした。

つまり、両親にまだまだ甘えてしまっているわけですが、やはり気楽なのです。

甘えられる場所があることの幸せ。

そして、つかの間であれ、役割や責任から降りることの解放感。

たった数日間の滞在でしたが、驚くほど心身ともに休憩できエネルギーチャージができたように感じました。

そこで気が付いたこと2点。

まずは、役割から降りる機会を作ることの大切さ

週末や休暇というのは、仕事をしている人たちの、大切な、役割から解放される時間。

休みになるたびに、平日の自分の役割を忘れてリラックスすること、生活すること、趣味に没頭すること、遊ぶことに集中すればいいのです。

”母親”という役割については、一旦母親になってしまうと解放されることはありません。

恐ろしく重たい責任なわけです。

けれども、時々、つかの間だとしても、その重たい役割から解放される機会があるだけで、どんなに救われるか、どんなに精神的に楽になれるか、どんなに心身ともに休息できるか。

子供たちが小さく、子育てに追われ四苦八苦していた頃に時々ギフトにように与えてもらったつかの間の解放感を思い出しました。

今回、”家の主”という役割を降りて感じたこの上ない解放感ですが、責任と向き合っている間(日々タスクに追われて過ごしている時)は、心と体が責任というストレスに実は押しつぶされそうになって悲鳴をあげていることにはなかなか気が付かないのです。

解放され、気が緩んで初めて気が付くわけです。

確実に心と体が欲している、”解放”される、ということ。

責任をつかの間降りることに罪悪感を感じる必要はありません。

人間はロボットではないので、心身共に健康で過ごすには必要不可欠であると思うのです。

是非とも、そんな”つかの間の解放感”をあらゆる人があらゆる場面で感じていけるような、手を差し伸べ合える社会になって欲しいなと改めて感じました。

一方で、例えば”家の主”になったときに漏れなくついてくる家事等を含む家を維持・管理するという役割・責任。

これについては、一人暮らしや寮生活、ハウスシェア等、親元を離れて生活しないと経験のできない役割。

家事を担う、家の管理をする、という物理的なタスクと、それに付随する”責任”という重み。

この役割を果たしたことがあるのと、全くないのとでは精神面での成長が変わってくるのは確実だと感じました。

結婚相手には、親元を離れて生活したことがある人を選んだ方がいいとは良く言われていますが言い得て妙。納得です。

と、そんなことを考えたお盆休み。

子供たちともよく遊び、よく宿題をし、夫とはよくお散歩をし、一人でつかの間の買い物もでき!!、のんびりリフレッシュできたOFF時間となりました。

明日からまた頑張るぞ~!


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