悔しい思いをしたこと

先日、小さなぼくちん(3年生になった弟くん)が、空手教室から帰って来たやいなや、私のところに抱き着いてきて泣き始めた。

不意打ちをくらった私。

「どうしたの?」

と聞いてみた。

すると、ヒックヒック言いながらも、どうやら空手で悔しいことがあったと。

少しばかり落ち着いてからよくよく聞いてみると、新しい型か何かを学んだらしいのだが、なかなか上手くできず、結局ものにできずに終わってしまったと。

同じ教室にはお兄ちんもいて、合計4人ほどの子供たちがいたが、他の子たちはみんなそれなりにできていた。けれども自分だけができなかった、と。

そんなことだった。

実際、小さなぼくちんには割とありがちな出来事。

何でもすんなり器用にこなし、覚えるのが速いお兄ちんとは対照的に、弟くんは覚えるのに時間をかけるし、そんなに、何事においても器用に物事をこなすタイプではない。

一度、“できる”と確信すると、その後の伸びは驚くほど速いけど、その地点に到達するのに時間がかかるのだ。

この傾向は割と赤ちゃんの頃から見てとれた。

言葉を覚えるスピードや、手を使った作業(折り紙やレゴ等)、ボールを使った遊びなど、やはり覚え方やスピードがお兄ちんとは違うものだった。

けれども、弟君においていつも感心させられるのが、その分努力をするのだ。

お兄ちんは何でもすんなりできてしまうためか、悔しい場面を味わう機会が比較的少ないからなのか、死に物狂いで何かに取り組んだり、努力したり、という場面をあまり見ていない。

宿題やテスト勉強など、やるべきことはきちんとやるけれど、それ以上のことはしない。

そんな傾向がある。

一方、弟君についは、こうして悔しい思いをする場面が多いからなのか、割と影で頑張っている。

マラソン大会でも悔しい思いをしたから、その後ちょこちょこ会場の公園に行っては、走る練習をしたり、タイムを測ったりしている。

勉強においても、テストで思った点を取れないと悔しいようで、次回までには絶対に完璧にする!とコツコツ書く練習をしたりしている。

このような態度は親としてはとても感心するし、えらいなあと思う。

結果として、お兄ちんのようなタイプの子も、弟君のようなタイプの子も、行きつくところは同じかもしれないけれど、やはり努力をする過程で身に着くこともあるだろうし、最終的に確固たる自身への自信がつくのは弟くんの方かもしれない、と思うこともある。

なので、時々お兄ちんには、“そんなにのんびりしてたら頑張っている子たちにあっという間に抜かされちゃうぞ~!”なんて、教育本では絶対に言ってはいけない言葉ランキングとかに入ってそうな“脅かし”をしてしまったりする(笑)。

さて、空手での悔し涙に戻り、そんな悔しいエピソードを話してくれた弟くんにむかって、ママは、

「そっか、悔しかったんだね。そりゃ悔しいよね。ママもわかるなー。でもさ、きっとさ、ぼくが悔しい思いをするために神様がわざわざ仕向けてくれたんじゃない?だって、すぐに上手にできて悔しい思いをしなかったらちゃんと練習しないでしょ?だから、ぼくがとびっきり強くなるために、神様が敢えてなかなか覚えないように(失敗するように)したんだよ。」

と言って慰めた。

弟君にそう言いながら、まるで自分自身を励ましているような、そんな風にも感じられ、何だか私、“神”じゃん!とそんな自分の勘違い神パワーを感じてウキウキしてしまった(笑)。

そう、失敗するのは、学びを与えてもらっているということ。伸びしろだということ。

なかなか上手くいかないのは、その過程で学びがあるから。

なので、言うは易しだけれども、そのもどかしい過程を感謝する。

そこにポジティブな意味を見出すようにする。

そんなことができたら人生が尚好転していくように思った。

起こること全てに意味がある。

出会う人(特に近しくなる人)全てに意味がある。

できる限り、日々そんな風に出来事を解釈しながら過ごしていこうとしている今日この頃。

皆様も是非、悔しい思いをしたときにはそんな風に考えてみてください💛

何だか勇気が湧いてきて、馬鹿みたいにウキウキしてくるはず!

何事もポジティブに思い込んだ勝ち!そんな風に自分を鼓舞して、自分を良い方向に“だまして”いけたら、気付けばそれが本物になっていると勝手に想像し信じているのだ💛

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