この前、昔の写真をパラパラと見ていたら、ロンドンに引っ越ししたばかりの頃の写真が出てきた。
とっても痩せていた自分の姿を見て衝撃!
あれ、こんなに痩せていたのだっけ?!でもやっぱりどことなくやつれている様子。
実はロンドンに引っ越ししたばかりの頃は、少しばかり辛い時期でもあった。そして、何か ”辛いこと”や、強度な”ストレス”があると、ママンは食欲がなくなるのだ。というか、食べ物が喉を通らなくなる(涙)。
ロンドンに来たばかりの頃と言えば、小さなぼくちんはまだ生後3、4ヶ月。同時にママンはMBAの修士論文を書いていた。締め切りは渡英してから3ヶ月後。そして全く知らない新天地での生活。
夫はというとすでにその半年前からイギリス入りをし、仕事・生活をしていたので、イギリスの習慣や生活様式をある程度理解していた。また、同僚との人間関係もすでに構築されていた。そしてまた、”さみしい”と言いつつも、一人での”お気楽な”生活にもある程度慣れていた。
一方で、ママンは生後間もない小さなぼくちんのお世話、そして5歳になったばかりのお兄ちんの子育て、それから論文とでてんやわんやな毎日。
そんな状況の下、おろらく、ロンドン入り前の数ヶ月の間、お互いの生活パターンがあまりにかけ離れていたためか、それとも新しい文化への対応もしくは新生児の子育てに知らず知らずのうちにストレスを感じていたためか、ロンドン入りしてから始めの数ヶ月というもの、ささいなことでよく夫とぶつかっていた。
自分で言うのもお恥ずかしいけれども、ママンたち夫婦はそれまでほとんどけんかをすることもなく、和やかに仲良く暮らしていた。なので、少しの間、遠距離になっても全然変わることはないだろうと信じていたし、むしろ距離がさらに恋心を深める!何てロマンチックなことを考えていた。
ところがやっと晴れて遠距離が終わり、新天地で家族揃っての新しい生活が始まったというのに、なぜか夫とのコミュニケーションがうまくとれない。全くもって歯車がうまく回らなくなっていたのだ。
遠距離になる前までは、一体どのように一緒に暮らしていたのだろうか、とラブラブだった自分たちがまるで虚構だったかのような錯覚に陥るくらい、ちょっとした発言や行動にお互いピリピリし、思いやりの欠いた発言をしたり、敢えて”意地悪”を言ってみたり。。。
今思えば、これまた長い人生の一つのライフステージで、”ああ、そんな時期もあったっけ”、という程度の、少々苦い思い出だけれども、当時は、こんな風に”険悪”な関係になってしまった自分たちを心底悲しみ、よく一人で食器洗いをしながら泣いていた。自分でも信じられなかった。そしてどうしたらよいのかわからなかった。頭の中でぐるぐる歯車の回らない原因を考えていた。
今思えば、やはりお互い全く余裕がなかった、と思う。
夫はというと新しい国での生活や仕事にちょうど慣れた頃で、楽しくなって来ているところ。とは言え、仕事の要求は高いし、時間的拘束もフランス時代よりは多かった。またフランスではなかった仕事文化の一つ、イギリスでは同僚とアフターファイブにちょくちょく飲みに行くのが常。飲みに出かける方は楽しいけれど、家で赤ちゃんと小さな子供を抱えて待っている母親(しかも授乳中なので時々お酒を飲みたくても飲めない)としては、嬉しいことではない。
ママンはというと、それまで日本の実家で数ヶ月間、悠々と暮らしていたのとは一転し(夫のロンドン異動に伴い里帰り出産をしたのだ)、ロンドンという新天地で子育てが始まる。同時に、論文もクライマックス。提出期限が数ヶ月後に迫っている。子供の学校の手続きもしなければならない。知り合いもいない。生活様式もわからない。
ママンにはよくあることだけれど、”大丈夫!”と信じながらも、きっと自分のキャパシティーを超える状況を作ってしまっていたのかもしれない、と思う。現実的には”過度にストレスフル”な状況にいたので、ちょっとしたことで不安になったり、その裏返しで意地悪な発言をしてしまったり、とにかく神経が逆立っていたんだろうな、と思う。
夫は夫で新しく家族4人になった暮らしに、そして新生児のいる暮らしに、喜ばしいと頭では思いつつも、体ではある種のストレスを感じていたのかもしれない、と思う。
そんなことをぐるぐると考えながら、果たして昔のようなラブラブの自分たちにまた戻ることはできるのだろうか、と、心底不安に思っていた。とても無理かもしれない、と思ったことも何度もあった。
さて、そんな状況をどのように乗り越えたか、というと、まずは ”時が解決してくれる” ということ。"Time heals everything"(時はすべてを癒す)とよく言うけれど、確かにこれだけではないいとは言え、やっぱり時が経つのを辛抱強く待つ、というのは大切だと感じた。ジタバタしたいけれど、ジタバタしても仕方がない。とにかく待つことが必要なときもある、と思う。
また、会話をするとどうしてもトゲトゲしい方向に行きがちなので、必要のない会話はなるべく避けるようにしてみた。けれども一緒にはいたいし、むしろ敢えて一緒に何かをするようにした。こういう時こそ一緒にいないと、それこそ、できてしまった溝が埋まるのではなく、更に深まってしまうように感じたから。なので、なるべく夜子供が眠りについた後は、一緒にソファーでゴロゴロしながらテレビや映画を観るようにした。一緒に感動することは、距離を縮めるのにとても近道であるように感じる。
そして、週末は、パリに住んでいた頃、ラブラブだった頃、自分たちがよくやっていたように、なるべく綺麗な公園に家族みんなで散歩に出かけるようにした。綺麗な景色を見ながらお散歩していると心が癒されるからなのか、何となく気持ちが穏やかになり、相手がまた愛おしく思えたりする。
それから、日常と離れ、感動や楽しい体験を共有するために、旅行に行ったりもした。引っ越し等でかなりお金を使っていたので、金銭的には有難い選択ではなかったけれど、こういう時の旅行は絶対によい効果をもたらしてくれると自信があったので、出費をいとわず、旅行の計画を立て、実行した。これまた功を奏した。やはり楽しい体験を共有するというのはカップルにとって、本当に大切だと感じる。一緒に、”この街いいねー”、”あの景色素敵だねー”、”これおいしい!”などなど感じることは、同時に相手と一緒にいて楽しい・嬉しい、という気持ちにつながるのだと思う。
とそんな風に辛抱強く生活すること数ヶ月。もう元には戻らないかもしれない、と思っていた関係が徐々に元の自分たちの姿に戻り、最終的にはそんな”ダーク”な経験を共有し乗り越えたことにより、更に関係が深まったように感じる。
おそらく大半の夫婦関係というものは山あり谷ありであると思う。もちろん稀に全く荒波たたず平穏な関係を続けられるペアもあるかもしれない。けれども、それぞれ感情のある個人同士で暮らしていくわけだから、やっぱりどこかで摩擦が生じることは自然であると思う。そんな時には、すぐに諦めてしまい、”こいつはもうダメ!”となるのではなく、一旦、一歩下がって状況を把握し、”待ち”の態勢に入ってみるのもいいかもしれない、と強く思う。辛抱している間に、そのうち風向きが変わり、歯車が元のようにうまく回り出すこともある。
そしてできるところで手を抜き、自分の生活になるべく”余裕”を持てるようにしたい。心的余裕がある時であれば、どうってことないことでも、余裕がないときには一大事になってしまったり、一触触発になってしまったりするから。となるとやはり”無理”をすることはよくない。それほど重要でないものは後回しにするか、外部(他者)の力を拝借すればいい。
というわけで、幸か不幸かママンのガリガリ時代は結局大して続かず、数ヶ月後には食欲旺盛な姿に戻ってしまったのであります(笑)。
Wish you a lovely weekend❤️