例えば、自転車に乗っている時とか、お風呂に入って居る時、もしくは寝ている時に、ふと、何か忘れかけていたけど実は大切なことを思い出したり、とんでもなく名案に思えるようなことを思いついたりすることがある。
しかも、大抵そういう風にして、”ふと”、思い出したり、ひらめいたりすることって、すごく重要な意味があるような気がしてならない。
むしろ、調べて、考えて、分析して、考えて、考え抜いて導き出した答えや案よりも、”ふと”、思いついたときの方が的を得て居たり、よりよい結果を見出したりするような気がする。
多分、”ふと”、思いついているようで、実は、普段から結構そのことに纏わることばかり考えていたりする。だから、きっとこうして、ふとした瞬間に、”ひょっこり”と表れて来るんじゃないかと思う。
序章が長くなりましたが、そんな風にして、ふと、自転車を一生懸命漕いでいるときに、”そういえば、結婚相手を探すことと、就職先を探すことって似てるよなー”、そして、”ライフミッション”を探すことと、”ライフパートナー”を探すことも似ているよなー、と思いついた。
いや、正直に言うと、前々から感じていたことだし、よく言われていることでもあるので、何一つ新しくも興奮するようなことでもない(涙)。
一昔前は、女性にとっては、結婚相手を探すことが、男性にとっての就活と同じような意味を持っていた(ある種の終身雇用という意味で)。とにかく条件が良くて安泰なところ(人)、ネームバリューがあり、できる限る収入の多いところ(彼)をゲット、後は左うちわでのほほ~んと暮らす、みやいな。ちょっと大げさだけど(笑)。
この場合、確かに論理的だし、現実的だし、きちんと分析・計算されていて、いわゆる”リスク”は少ないと感じる。
また、目的は就職すること、もしくは相手を見つけて法的に結び付けられることなので、見つけて手に入れた時点で目標達成。言ってみれば、あとは、まあそれなりに必要なことをこなし、気に入らないところや腑に落ちないところには目をつぶり、我を消し、荒波を立てずにとにかく日々をこなしていく、そんな風にして生きていくことになる(なった)場合が多いのではないかと思う。
もちろん、こうして”就職先”を見つけたけれど、知れば知るほど楽しくて、素敵で、そこに生き甲斐を見出してしまうほど、時間の経過とともに、益々その就職先や結婚相手に惚れ込んでしまうこともあるだろう。それは本当に幸運なパターンだ。
けれども、もし、惰性で、安泰だけを追い求め、心の声に蓋をして生きているのだとしたら、もったいないし、悲しい。
一方で、ライフミッションやライフパートナーを見つけ出すには、動物的感(直観というヤツ?!)と経験値が必要だ。自分のことをよく知る必要もあるし、相手(ミッション)のことをよく知る必要がある。
そのためには、色々な人や職を経験して、自分には何が合うのか、何に情熱を感じるのか、何が堪えられないのか、何が幸せと感じるのか、どんな風に生きていきたいのか、そんなことを比較検討しながら認識していくことが重要だ。
様々な経験値(知)があった上で、自分にできること、やりたいこと、そして人から求められていることが見えて来るんじゃないかって思う。
もしくは、始めはただの就職先(結婚相手)だったけど、時とともに、それがライフミッション(ライフパートナー)であると心から認識できる瞬間がやって来て、全魂を注いでしまうほど、憑りつかれることもあると思う。
超理想論ではあるけれど、どうせなら、単に就職先を見つけるのではなくて、自分の仕事に全魂を注げるくらいそこに意義を見出したい。
どうせなら、単に結婚相手を見つけるのではなくて、自分のパートナーに全魂を注げるくらいそこに意義を見出したい。
と考えると、今やもはやかつてのような終身雇用信仰は崩れているというのは承知で、やはり、新卒(22,3歳で)で就職先を決め、そのまま定年退職するまで同じ職場というのは、現実的に難しいし、息が詰まるような気がしてしまう。
22,3歳とはまだまだ社会に出たばかりで、あまりに人生経験が短すぎるゆえ、その後の人生を決める(判断する)にはあまりに早すぎるように感じる。
世界は広いし、世の中にはあらゆる業界のあらゆる仕事があり、あらゆる背景を持つあらゆる人が存在する。
やはり、もっと自由に、フットワーク軽く動き周り、色々な人や仕事に出会い、経験をし、徐々に方向性を固めていく、というのが理にかなっているように思えてならない。
もちろん様々な考え方があり、絶対的な正解というのはない。
けれども、もし現状に窮屈で窮屈で仕方がないとか、何か違和感を感じていたり、自分の良い部分が活かされていないとか、逆に委縮している、といった環境に身を置いている人がいたら、一歩外に出てみようよ!と言いたい。
多分そこは違う。
もっと自分が生き生きする環境(相手)がある(いる)はずだ。
自分の力を信じて、もっと気楽にライフミッション(パートナー)を探しに行けばいい。
って、そんな他人様の人生に無責任なことは言えないけれど、誰のためなのかわからない責任感とか、こうすべき信仰とか、世間の目とかは一旦脇に置いておいてもいいんじゃない?!って思う。
今の常識が数年後には180度ひっくり返っているような世の中になっている。
周りに合わせていても、世の中の流れが変われば、”騙された”、とか、”裏切られた”、と感じてしまうような結果になることもある。
なので、常に”本物”、”本心”を求めて、なるべく自然の摂理に沿って生きていくのが実は一番安全なんじゃないかって思ったりもする。
書いているうちにまた話がそれてしまった(涙)。
とにかく、20代のうちは、職場もパートナーも色々あたってみればいいと思ってしまう。
西洋諸国ではそれが普通で、日本も今、すごい勢いでグローバル化していて、そのうち日本でもそれが常識になる日が来るように感じる。なので、”既成概念”に囚われずにもっと自分自身に責任をもった前提として、身軽に気楽に自由に生きてもいいんじゃないかって思った。
そうこうしているうちに、きっとライフミッションとライフパートナーと双方が見つかるんじゃないかって思う。もちろん待っているだけでは来ないので、狩りに行かないとダメだけどね♡