ついに我が家の前の桜が咲きました。

2年と数か月前に引っ越して来てから3度目の我が家から楽しめる桜。

我が家が大好きな大きな理由の一つは、この桜ちゃんたちです♡

まさに心が躍るような、ときめくような、そんな笑顔を窓の外を見るたびにもらっています。

桜ちゃん、今年も美しく咲いてくれてありがとう♡

さて、今日はタイトルにもあるように、反省する一日でした。

お昼に我が家に夫の元同僚家族を招待していたので、朝から掃除をしたり料理の準備をしたりしていたのですが、今回は夫がやる気満々で、私よりも早起きし、早速、ラザニア作りに取り掛かっていました。

何とも喜ばしい光景です♡

とってもありがたかったわけですが、何故かちょっとしたことで口論になり(あまりに些細なことだったので記憶にもありません)、けんかへと発展してしまいました。

夫は情熱の国、イタリアの血が流れているからか、時々ちょっとしたことで”怒り”のエネルギーを放出することがある。

そして消化しきれない時は、それが”不機嫌アピール”に転換され、いかにも自分は怒っているオーラを出すことがあり、平和主義である私は、テキトーに流せばいいのだけど、何だかその”不機嫌”な雰囲気が好きになれず、心がざわざわする。

今回は、”けんか”を無駄に、ネガティブに終わらせたくなかったので、とりあえず落ち着いて夫の不機嫌の真相、そして私が夫の好きになれない行動(不機嫌アピール)についてお互いに言い合ったのでした。

よく話を聴いてみると、どうやら夫は私の愛情表現不足に不安になったり、がっかりしていたようなのでした。

確かにこれは過去に何度か言われたこともあり、自分でも常々、改善できたらなと自覚しているところ。

これはお国柄もあるのだと思うけど、やはり私たち日本人は一般的にそれほど愛情表現をしない。

「愛している」と心の奥深くでは思っていても、日々その気持ちを言葉やスキンシップで表現しようとしないし、しようと努力をしても何だかぎこちなく感じて上手くできないでいることも多々ある。

私としては、”え~、そんなの日々の生活で好きな気持ちは伝わるでしょう?!感じてよ!”、と思ってしまうのですが、夫としては、”いやいや、自分ではそう思っていても、きちんと表現してくれなとわからないでしょ”、と。

そんな”文化的”違いが、夫婦関係の根本である愛情への不信へと繋がってしまっていたのでした。

どんなに一つ屋根の下で共に暮らす家族とは言え、やはり相手の心の内はわからない。

私の場合、さすがに夫がアムールの国、おフランスの男性なので、確かに事細かに愛情表現はしてくれありがたいのですが、逆にあまりに頻繁なので、ただの挨拶の延長みたいに感じてしまうこともあり、”je t'aime(愛してる)"の言葉の重みをそれ程感じられなくなっていた、というのも事実です。

どんなに言葉で表現されても、それでも、”本当に?”と時々感じてしまうくらいなので、やはり自分の中で「愛してる」の言葉の重みを彼ほどには認識していなかったんだなーと反省しました。

スキンシップに関しては、どこか照れのようなものが未だにあり、欧米人のように自然に人前でチュッチュしたり、ベタベタしたり、というのはできない。

でも、我が夫は、人前である必要はないにせよ、そんな自然なスキンシップでの愛情表現を求めたいたんだな、と再認識し、これまた反省したのでした。

口論をするとどうしても、”いや、私には落ち度はないでしょう”、と考えがちでしたが、実は根本の部分で大きな落ち度があったんだなと気が付いたのでした。

愛情表現が不足していることによる不安、寂しさ、むなしさ、孤独がきっと彼の不機嫌アピールを引き起こしていたんだなーと。

”聞く耳を持つ”ということ、”相手の立場になる”ということ、”自分を振り返る”、”客観的に見る”、そして”謙虚になる”ということがいかに大切かを痛感した今朝の出来事でした。

もっと愛情表現が豊かにできる、愛らしい奥様を目指そう!ってあまりに目指す部分が多すぎて、40代突入前にでも大きな自己改革が必要そうです!頑張れママン!!

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