先週、小さなぼくちんの通う幼稚園で保護者会があった。

学年末とのことで、それぞれの親が(全員母親でした!)、この1年で感じたことなどを手短に話す場面があった。

フランスやイギリスでは保護者会というもの自体があまりなかったし(唯一あったのは学年の始め。クラスの先生が年間スケジュールや目標、クラスでのルールや授業の進め方などについての説明があり、それについて保護者側から質問があればする、と言った流れだった)、一人一人が自分の子供の成長等についてコメントし、感極まって涙する、と言った場面は皆無だった。

これはとても日本的だなーと感じながらも、確かに日本の幼稚園では、様々な行事が行われ、その度に子供たちも先生も親も熱が入り、一生懸命行うので、行事が終わる度に感動したり、達成感があったりして、心が動かされる場面が多いので、1年を振り返った時に、感極まり涙が出るというのも納得だ。

実際私も子供の成長を振り返るとジーンとなり、目頭が熱くなってしまう。

そんな保護者会の場面で、これは絶対にフランス人やイギリス人の親からは聞かないだろうなというコメントがいくつかあった。

何かと言うと、「息子(娘)が他の子供に迷惑をかけて本当にすみませんでした」というコメント。

ママン的には、まだ4,5歳の子供なんだから、お互い迷惑を掛けながら成長していくのが当然。けんかもするし、時には叩いたり、嫌なことを言ったりする子供もいる。けれども、子供たちってそもそもそんなことをお互い繰り返しながら成長していくわけだから、それを”迷惑”だとは正直思わない。むしろ、成長の過程だと思うし、お互い様だと思うのだ。

もちろん危害を与えてしまうことは、あってはならないと思うけど、あまりに謝り態勢のママたちが多くて、正直少し驚いてしまったのだ。

しかも、ママンから見ると、元気いっぱいでかわいい子!と思う子とか、おとなしいけど、何だかスウィートでかわいい子!って思う子ばかりなのに。

もしかしたら、これは日本人の謙虚な心の現れなのかもしれないし、礼儀正しくあるために言っているだけなのかもしれないけれど、もし、本当に自分の子供のことを親が問題児だと思っていて、人様に迷惑ばかりかける”悪い子”と見なしていたら、それは子供がかわいそうだと思ったのだ。

親が子供のことをどう見ているか、というのは、子供は少なからず感じるし、多かれ少なかれ子供はそのイメージを演じるようになる。それが、よいイメージであれ、悪いイメージであれ。

もちろんフランスやイギリスのように、他人の前で自分の子供の自慢をする必要はないと思うけど(笑)、あまりに子供を過小評価するのは、子供がかわいそうで、ママンはいてもたってもいられない(笑)。

子供はみんな自分が認めてもらいたい、と思っている(多分大人も)。

だからやっぱり親は、子供のありのままの姿を認めてあげる必要があるし、長所も短所もひっくるめて受け入れ、愛情を示す必要があると思うのだ。

ママンはむしろ、子供のいいところばかりが目についてしまい、改善点に関してはどこか、”まあ、いいか”、と割と寛容だ。

だからか、それほど子供に対して怒ることもないし(もちろん時々イラつくことはあるし、叱らねばならない場面もある)、ネガティブな言葉を浴びせることもない(もっと締めるところは締めないと、とは思っている)。

これはおそらく私の性格で、自分の子供だからなのではなく、一般的に人に対しての見方が良くも悪くも鈍感なんだと感じる。

良い部分ばかりが目につくので、人に対してイラつくことや怒りを覚えることもあまりなく、どんな人でもすんなり受け入れることができてしまうのだ。

という意味で、他人の言動や行動、あり方に敏感なのではなく、鈍感なんだろうなーと感じる。

でも、実はこの”鈍感”、お陰で人生生きやすくなっているのかなと感じることは多くある。敏感だったらきっと世の中の色んなことに神経が逆なでられて、イラつくことが多く、ギスギスしちゃうんだろうな、と想像する。

それがあまりないのは、実はとっても楽なんではないか、と感じる。

怒ることやイラつくこと、嫌うこと、といったネガティブな感情は、多大なエネルギーを消耗させる。

それがない(あまりない)ということは、その分のエネルギーを他の何かに使うことができるし、そもそも明るい気分で世の中と向き合えるからだ。

おっと話が飛んでしまった。

子供に関して言えば、子供はどの子も必ず何か光るもの、そしてかわいい部分を持っているはずだ。子供の問題点ばかりに目を光らせるのではなく、素敵な部分にもっと注目する、もしくはとにかく無条件に底なしの愛情を注ぐ、という風に子供に接すれば、子供は自ずと精神的安定を得られ、自信を持ち、益々輝いてくるのではないか。

保護者会の場面でそんなことを考えてしまった。

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