暑い毎日ですね!

日傘が欠かせない日々となりました。

でも、何だか嬉しいなー、この夏な感じ!あまりに暑いとバテちゃいますが、このくらいならいい感じの暑さ。気分が上がります💛

夕方は涼し気な風があまりに気持ち良かったので今日はジョギングに行って来ました!爽快感がたまらない!

さて、前回の続きで、子育てではなく夫育て(笑)。

そう、英国での空きポジションに応募し(フランスで働いていた会社のイギリス現地法人です)、ポンポンと話が決まり、ロンドンへの引っ越しが決まりました。

それが、2012年の夏。

ちょうどママンがMBAの授業のためにニューヨークに滞在していた夏の終わりの出来事でした。

まさかの英語圏での、そして第3国での家族暮らし。

夢にまで見ていたことが現実となるなんて!しかも、ちょうどMBAを修了するであろう(2013年秋に取得しました)ママンにとっても、労働市場が盛んなロンドンで生活できるということは、キャリア的にもチャンス!

非常にエキサイティングなお知らせでした。

というわけで、ロンドン生活が始まりました。

英語でこれまで仕事をしてこなかった夫にとっては始めは苦労の連続でした。

もちろんフランス人の一般的なエンジニアが話すレベルの英語力はあったのですが、めちゃめちゃフランス語訛りの、broken English (本人はセクシーイングリッシュとほざいています(笑))。

異国での生活のプレッシャーと、そんなタイミングで次男の妊娠・出産を経験した私たち。

金銭面でも始めのうちは苦労しました。

というのも、パリからロンドンへの異動(同じ会社だけど現地採用)の際に、収入が35%ほどアップし喜んでいたのですが、蓋を開けてみたら、物価が1.5倍ほどであることが発覚しました。しかも、フランスのように社会福祉が充実していないばかりか、保育料や家賃のあまりの高さに驚愕。

というわけで、テンションがた落ちなばかりか、日々の消費を切り詰める生活に一転。

私たちの中で、お金を稼ぐための滞在ではなく、経験値とスキルを稼ぐための滞在という認識は二人で共有していたので、そのうち、切り詰める生活から、浪費はしないけど、生活をできるだけ充実させ、今を満喫、楽しもう!というマインドに変えていきました。

元々永遠に滞在するつもりでロンドンで暮らし始めたわけではなく、3,4年でスキルを磨く、そして第3国での暮らしを家族で体験する、という目論見がありました。

なので、その間にできることはできる限り何でもしよう!と思えたのでした(とは言え、当時はまだイギリス滞在の具体的な出口戦略はもちろんありませんでした)。

そのうち、次男が6か月くらいのタイミングで晴れてママンのMBAの卒論が修了し、8ヵ月ほどの時に仕事を見つけ、10ヵ月になる直前に就職しました。

ロンドンではナニーさん(保育ママ兼お手伝いさん)のお給料がとても高額なので(最低賃金が当時で時給1500円ほど)、手元に残る金額は微々たるものとは言え、それでも、経験値とスキルを習得するためと思い、将来的には、この投資が役に立つであろうと将来に希望を託し、微々たるお小遣い(笑)には目を瞑って淡々と働くことにしました。

それでも、大分我が家の税務状況は改善されました(笑)!

さらに、夫は、専門知識を深めるために会社と交渉し、仕事をしながら大学院の授業を取得することにしました。授業は毎週金曜日と土曜日。週2回の2年間。

2年目の大部分は確か論文だったかと思います。

既にフランスのエンジニア学校で修士号を得ているので、それほどイギリスの大学院での修士号が必要とは思えませんでしたが、業界の中では割と役に立つマスターだったようで、それなら!と背中を押しました。

追われる課題に時にはうんざりし、諦めかけたこともありましたが、その度にどうにか励ましそれなりに最後まで頑張っていました。

今思い起してみても、我が家のロンドン滞在は、なかなか大変なものだったと思います。

子供たちも小さかったし、周りにはサポートしてくれる家族もいなく、駐在員ではないので会社からのサポートもなく、お互い外国人という社会的弱者でありながら、日々仕事と勉強に追われ、収入は増えたものの、出ていく金額も半端なく増え、結局大して溜まらないという。。。

けれども、そんな生活の中で、多くの財産を手にしました。

素晴らしい友人という財産、素晴らしい経験という財産、新しい知識とスキルという意味での財産。

そして、イギリス生活がちょうど3年ほどたった頃、Brexitの国民投票があり、EUからの離脱が決まり、ほどなくして我が家の"Brexit"(笑)も決まったわけです。

そう、ちょうどその頃に、まるで計画済みだったかのように、どこからともなく、夫の”日本”でのポジションの話が浮上し、これまたありがたいことに、ポンポンと話が決まったのでした。

今度もまた現地採用という雇用形態ではありましたが、引っ越し代等は会社が負担してくれ、日本でのパッケージ(報酬)も、第一歩としては申し分なく、晴れて私も退職し、日本へ移住することとなったのでした。

この時の私の喜びぶりと言ったら!

むしろ信じられないくらいでした。

その後、日本に来てからというもの夫は、日本語学校に通いながらも仕事に邁進し、一度転職をしていますが、その度に更なるスキルアップをしているような印象です。

そして確固たる経験とスキルが備わってくると、確固たる自信が生まれ、さらに良い循環に乗れるという。

元々、主夫になってもいいと、半分ジョーク、半分本気で言ってしまえるほど、そこまでキャリア面での野心が強くない夫。

家族を大切にしてくれることはありがたいけれど、私としては、物足りなさを感じている部分もありました。

けれども、同棲を始めてからかれこれ13年。

英語という武器と、グローバル企業での経験を経て、確実に力をつけている夫。

性格面では、割と控えめだった(ように見えただけかも?!)夫が、いつの間にかめちゃめちゃ社交的になっていたり。

社交性については、我が家の、パリ、ロンドンという当時の立地が多くの友達を我が家に引き寄せてくれたために、必然的に磨かれたのではないかと分析しています。

ここ数年は、あまりに社交的過ぎて、”ちょっとそこまでお買い物”の時だって、なかなか帰って来なく心配していると、”近所の○○さんに会ったから立ち話しちゃって”、と、知っている人に会うと必ず、挨拶だけではなく、立ち止まって話し始めるという。。。もちろん老若男女問わず。

よくもまあそんなに話すことがあるわ!と感心してしまうと同時に、あまりに軽々しくて、日本的感覚を持つ私としては、時には止めたくなるようなことも(笑)。

ここに来て隠れたイタリア人(イタリア人の血半分のフランス人)の血が出て来たか(笑)!

いずれにせよ、夫を育てるのは、子どもを育てるのと実は同じで、ある種のコーチになる、ということ。

彼のコーチになったつもりで(彼が随分年上の場合は難しいのかな?!)、色々な経験をさせて自信をつけさせる、足りない部分、もっとこうだったらいいなーと思われる部分を習得できる環境をできるだけ取り入れる、彼から申し出のあったやりたいことは、例え直近でお金がかかったり、リスクがあったとしても、将来的なリターンを信じて応援する、精神的なサポートを怠らない、勇気づける、経験や感動を共有する、良きチームメートとなる、ひたすら見守る、、、

そんなところでしょうか。

確固たる精神的な支えがあれば(安全で安心な環境)、夫や子供たちは驚くほど成長する。

パートナーや親の役目とはまさにそれではないかと感じています。

まだまだ100年人生、半分にも差し掛かっていないところ。

これからの長い人生、お互いの成長が益々楽しみで止まないのであります💛

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