前回からの続きです。
過去の環境を選ぶシリーズは↓からどうぞ💛
①パリへ渡る編、②夫との出会い編、③パリ脱出計画編、④ロンドン生活の始まり編
さて、そんな風にして始まったロンドン生活。
緑豊かな環境や、チャイルドフレンドリーな雰囲気、活気ある街、大好きなご近所さんたち、理想的な仕事、、、枚挙にいとまがないほど、ポジティブとハッピーに満ちたロンドン生活。
まさにイギリス人が最も大切にしている“positive" & "happy" な環境に、全くイギリスとは縁もゆかりもなかった私たちが、身を置き、享受することができたのだった。
これは小さな子供のいる我が家にとっては嬉しいサプライズであった。
確かに、フランスと比べると想像を絶するほどチャイルドケア(保育園等)が高額だったり、予想以上に家賃が高かったり、小学校1年生になる長男が、学校に空がないとのことで(公立小学校)、9月の入学式初日からは入れず約2週間待たされたり、慣れるまでイギリス人のイギリス英語(特にスコットランド人の英語)がなかなか聴き取れなかったり、また、私が仕事に出るとなるとナニーさんを雇う他選択肢がなかったり、と、あらゆる“想定外”なことにも多くぶつかり、決して全てがスムーズであったわけではない。
けれども、子供が小さなうちの当時の私たちが生活する環境としては、申し分ない最高な環境であったと思っている。
そんなイギリス生活だが、もちろんロンドンに骨をうずめるつもりで行ったわけではない。
私たちの中で、ロンドン生活というのは、①まだ自分たちも若く、子供たちが小さなうちに第三国(夫の国でも私の国でもないところ)で生活をしてみたい、②英語圏での仕事経験はその後のキャリアに大きなプラスになること間違いなし、③子供にとって生の英語を学べること、移民の多く集まるロンドンでの生活は人生において素晴らしい経験値になること間違いなし、という目論見で決断したので、5年も10年も滞在する気は元々なかったのだ。
だからか、どんなに家賃が高くても、ナニーさんのお給料が高くて私が働きに出る意味を問いたくなることが何度あっても、自分たちの中で、このロンドン生活での経験は確実に将来大きなリターンを生み出すはずと信じ、直近の、恐ろしい程の勢いで流れ出るキャッシュフローには目を瞑っていたのだった。
つまり、私たちにとってのロンドン生活というのは、“経験値”を稼ぐためであり、多少コストがかかろうとも、得られる経験やスキルを考えると“コスト”は私たちにとっては大したものではなかったのだ。
我が夫婦にとって、どんなにロンドンが好きになっても、その確固たる意図(ロンドンは経験値を稼ぐための人生の通過点)が揺らぐことはなかったので、常にロンドン生活は3,4年、ということを意識して生活をしていた。
また、これは実際に第三国で生活してみて初めて気が付いたのだが、やはり、第三国というのは家族全員にとって外国であるため、外国人として社会的弱者として生活をせざるを得ないこと。
それは、必要な情報が入りにくかったり、地元に根付いたネットワーク(家族や親戚、友人たちを含め)がなかったり、孤独であったり等、現地の人たちと同じ土俵に立って戦う(仕事においても子供の学校においても)ことができない、ということ。
そしてそれがいかに孤独で、いかに自分にハンディキャップである感覚(無力感とも言える)を与えるか、ということを実感した。
自分がこれまで得て来たもの(国語であったり文化的価値であったり、家族や親戚、友人等のネットワークであったり)というものが、ほとんど意味をなさなくなるのだ。
親になったら自分が与える番だと思っていたのに、自分も一から学ぶ必要があり、与えることができない。
そんな自分にもどかしさを感じた。
しかもそうこうもがいているうちに、子供たちはどんどん自分の知らない“イギリス人”になっていくのを目の当たりにする。
夫からのフランスを受け継ぐわけでもなく、私からの日本を受け継ぐわけでもなく、私たちにとって未知の世界で“勝手に”築き上げられていく子供たち。
移民の多い街なので、そんなことは実は当たり前で、むしろマジョリティーなくらいであったものの、あまりに与えたいものが多くあった私としては、やはり自分が無力に感じることに耐えがたい程のもどかしさを感じたのであった。
とはいうものの、日々楽しく充実したロンドンライフを送っているうちに気づけば2年半が過ぎ、もうすぐ3年を迎えようとしていた。
そろそろ次なるライフステージへ向けて、何かアクションを起こさないとこのままダラダラと異国生活が長引いていき、しまいには時すでに遅し、タイミングを逃して、そのままロンドンに居ついてしまいかねない、という恐怖心が少しずつ芽生えてくるようになっていた。
続きます💛