完成度の高い日本と未完成の美

欧州に10年以上暮らし、日本に帰国してからとても強く感じることは、日本はすべてにおいて完成度が高い、ということ。

非常な”完璧主義”を感じる。

例えば、電車の時刻表と実際に電車が来るタイミングだったり、街の清潔さだったり、お店の人の対応だったり、または幼稚園や小学校の行事の完成度(お遊戯会や運動会)だったり…。

例えば、幼稚園のお遊戯会。何とも完璧な企画・運営、そして園児の演技。すべてのレベルが半端なく高い。

欧州の”テキトー”なのりのイベントや、それなりに頑張っているのだけどちょっと安っぽく、”テキトー”に見えてしまうショーに見慣れてしまっていたので、日本の”本格”っぷり、そして”完璧”ぶりにはやはり驚きと感心を隠せない。

けれども同時に感じたのは、”これってすごく練習をしている、ということだよね?”、”先生たちの準備に費やす時間とエネルギーが半端ないということだよね?”と。おそらく何日も残業して準備したであろう手作りの招待状を始めとする、”手作り”の数々。そして完璧な演目。あまりにすごくて、むしろ不自然さを感じさせてしまうほど。

これは、学校や幼稚園だけではなく、サービス業を始めとしたいかなる職業に携わるすべての人々にも言える「完成度の高さ」。そしてまた、その完成度の高さが、ここ日本では”普通”である、ということ。

もちろん、やるからには”完璧”を目指し、完成度を上げていくことは大切だ。そのために一生懸命練習したり、重箱の隅をつついて準備周到にすることは素晴らしいとことだとも思う。

けれども極端にやるすぎるのは、果たしてよいものか?と時々感じてしまうことも否めない(もちろんプロの世界はここには該当しない)。

もっと、”楽しむ”ということに注力してもいいんじゃない?完璧ではなくたって楽しみながら演技をしていれば観客の心に響くし、見ていてこちらも楽しいんじゃないか、って思ったりもする。

あまりに凄すぎると、そこに人間味を感じさせない。それどころか、”ストレス”や”疲労”が垣間見られ、”危険な匂い”まで感じ取れてしまうのだ。

もちろん演技などにおいてだけではなく、お店の方々の対応だって、決まり文句を完璧に言えなくったって、心のこもった自然な対応の方が気持ちがよいんじゃないか、って思う。時々ヘマがあったっていいではないか。それこそ人間らしくて愛嬌があって、何だか親近感が湧いてしまう!

完璧になればなるほど、そこには”ストレス”というものが感じられる気がするのだ。人だって同じ。完璧な人(まあ完璧な人というのはあり得ないとは思うけど)よりも、ちょっと抜けていたり、すきがある方が、何だか近づきやすいし、本物感があって安心する。

それこそ、まさにママンが高校生の頃、よく哲学好きな男友達と話していた”未完成の美”。

未完成だからこそ、そこに美しさがある。完璧ではないからこそ、より一層美しく見える。完璧ではない部分こそ、”個性”となり、その人の人間らしい美しさとして光る気がするのだ。

日本はもう少しすべてにおいて”完璧”であることをやめてもいいんじゃないか、って思う。もっと”隙”があっていい。”Take it easy!”でいいのだ。その方が人間らしくって、ストレスフリー!

人間無理をすると必ずどこかに歪みが生じる。しかも自分が無理をすると人にも無理を強要したくなってしまう。なので、まずは自分から、もっと気楽に生きる勇気を持てたらいい。完璧ではないけれど、何だか楽しい生き方を。

人生は一度きり。”完璧”な人生を目指すより、何だか楽しい!幸せ❤️と感じられる人生でありたい。


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